昨夜、夕食を食べ終わった時のこと。
ふと蜂が伊都の前髪の生え際を見ると、白髪の根元に、1cmくらいの黒い部分が出てきているのを見つけました。
1cmといえば、およそ一ヶ月に伸びる長さですよね。
この一ヶ月何があったかというと、伊都もCOVID-19の影響を受けてデーサービスやヘルパーさんを休んでいて、家で蜂と一緒に過ごしていました。
伊都が「何が良かったんかねぇ。…栄養のバランスがよかったんやろうか。」とつぶやいていると、蜂が「安心して眠れるのも良かったのかもよ?」と付け加えました。
伊都は現在88歳。
伊都の体に自ら元気になる力が残っていること、初めはスズメがつつくくらいしか食べられなかったのに、蜂と同じ量を完食するまでに食べられるようになったことが、蜂は嬉しくて嬉しくて、おまけにその結果が髪の毛に現れて、蜂は伊都を抱きしめて喜んでいました。
そして蜂はこのとき、「ピーターの台本帳」に見たものを書くタイミング来た、と思っていました。
論理的思考から外れて、自由に書いてみようと思います。その勇気がやっと持てました。
夢物語と思って、お付き合いいただけたら嬉しいです。
「ピーターの台本帳」に蜂が見ていたものは、現在のCOVID-19にまつわることです。
よく「いつ終息しますか?」と尋ねる人がいて、「長期戦を覚悟してください」という答えが返ってくるのを聞きます。
蜂の予感では、エッセンシャルワークの重要性と敬意が、社会に十分に浸透し実践される頃に、終息しているのではないかと感じています。
どうしてそう思うのか。
COVID-19そのものの特徴や、それにまつわる事象に、不思議なくらいに既視感があるからです。
COVID-19は、肺の炎症と血管の損傷を引き起こし、サイトカインストームという、ウイルスが体内に侵入したときに免疫機能が過剰に働くことによって、ウイルスだけでなく、正常な細胞まで攻撃してしまう可能性がわかってきていますが、原因は違えども、これらの症状は身近に経験したことがあります。
(「私たちの集合意識体の肺」で、「特に社会構造に関して、長い間胸に押し込めてきたことはないですか?」と質問しましたが、これはかつて、医学と精神医学の接点で見つけたものを問いにしました。)
またコロナという名前は、王冠や樹冠という意味とともに、太陽の周りの光という意味があるそうです。
ビーレエションシップの黄色の意味の一つに太陽の光があるのですが、これは、蜂のファシリテーターとしての繰り返し現れる原型のひとつであることや、かつて蜂は、太陽の光を避けるために室内でできる活動に強く限られたこともありました。
そして、COVID-19によってスポットライトが当たっているエッセンシャルワークの多くは、母性の強さというテーマで結びついている三人にとって、馴染み深い場所や業種であり、観光業やエンターテイメント業にスポットライトが当たっているときや、社会の男性的な雰囲気の中では、その価値を低く見積もられていたり、社会のしわ寄せを担っていた業種です。
母親という役割や、家事や育児を担う役割、家族全体を見渡す役割、学ぶことを支える役割の大切さを3人は感じていたのに、気づかないうちに社会の男性的な風潮(「すぐに利益を出す活動ではない」と)の影響を受け、”家事や育児は社会的な価値がない”、”稼がないと仕事ではない”と思い込んで、長い間、心を凍らせていました。
このように、COVID-19は私たちも恐れているのですが、それだけの対象ではないのです。
これらはおかしなこじつけ、と思われるかもしれません。
蜂の中にもそうした思いはあって、感じていたことを破りたい気分になっていました。
(でももしかすると、物理の法則の観点から物事を見て、整理しているのかもしれません。)
それでも、COVID-19を早く終息させたいと願っていて、そのためにはCOVID-19がもたらす雰囲気とは戦わずに、背後の雰囲気を浮かび上がらせ、それらをもつれさせずにスムーズに流し出し続けるのも、一つの方法だと考えています。
そして不思議なことに、この一ヶ月のパンデミックの中で、蜂の長年の夢の達成の瞬間がやってきました。
蜂が目指していたものは、家族に頼らずに、自分で頑張り続けることに頑なな伊都に、家の感覚を取り戻すことでした。
バランスのいいご飯を食べてもらうこと。安心して眠ってもらうこと。キラーストレスを抱えずに日中の活動を楽しんでもらうこと。
家庭の雰囲気を資本主義の基盤に乗せないこと。
これは社会に当てはめても、エッセンシャルワークの要の要素であり、公共性の高い内容だと言えるのではないでしょうか。
とはいえ目指している状態のために、自分の未来と仕事をどう繋げるのかというのが、蜂の一番の難題でした。
数年にわたって答えが見つけられずに眠れない夜もあって、あるとき一本の白髪が出てきたのを見つけたこともありました。
だから今、飲食業や観光業の人の思いを想像すると、冷や水を浴びせられるような気持ちになります。
「進むも地獄、退くも地獄」という言葉が印象的です。安心して動けないんだと思います。
(ならば動かずに深めてみるのはどうだろう、と校正していてふと思いました。
深める方法は?、それを可能にする経済構造は?、と考えると、継続的なオープンフォーラムと、公共性の高い経済構造もこれからの生活様式に加える要素のような気がします。)
今社会では、COVID-19を乗り切るための対策として、PCR検査の拡充や治療薬とワクチンの開発、テレワークの推進を打ち出して乗り切ろうとしていると聞いています。
もしそれがうまくいけば、これ以上苦しむ人が出ないし、社会構造、産業構造、経済構造の設計変更の模索と手間も省かれるから、いいことだと思います。
しかしもしもうまくいかないとき、COVID-19は人間をより本質的なものへ向かわせる傾向があることを思い出してみてください。
それを成し遂げるためには時間がかかり、その間、私たちが安心して食べて眠れるための社会の経済設計の構想は進んでいるでしょうか。
この一ヶ月は継続的なオープンフォーラムが開かれ続けているように感じていますが、安心感が行き渡れば人間はアイディアや創造性を出せるし、業種やスキル間の境界線が薄れた現在の状態も、社会の資源になるのではないかと感じています。
公共性のある収入と自ら稼ぐ収入と、富の再分配のための税収をスムーズに流す設計はどんな形が考えられるのでしょうか。
今のパンデミック渦で伊都は、否応無く蜂と一緒に過ごす時間が生まれて、伊都の心の壁を破る出来事が起きて二人がぶつかった後、家の感覚が戻ってきたという手応えを感じ始めました。
そして冒頭の話、伊都の黒い生え際を見つけました。
かつて蜂に生えていた白髪は、今のゴールへの方法をわずかにでも見つけたときに、ポロリと抜け落ちています。
伊都は継続的なオープンフォーラムが開かれているのを日々見ていて、時々面白いことを言いながら、社会に開かれている感覚を得ています。
蜂もこの一ヶ月は通常の流れを止めて、継続的なオープンフォーラムを見ながら、今ここでできることをしていると、こうした流れがこれからの変化を引っ張っていくだろうと感じています。
安心して慎ましくもバランスの取れた食事ができること、安心して眠れること、継続的なオープンフォーラムによってもたらされる安心感のために社会資源を使うこと。
経済の目的にそういう視点もあるのではないかな、と伊都に生えてきた白髪の黒い根元を見ていて思っています。
(この記事は蜂が書きましたが、タイトルを迷っていたら伊都が一緒に考えてくれ、伊都のアイディアでタイトルは決まりました💡)