壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと思う

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お店で流れていた曲

最近は地域ニュースで「COVID-19の感染者が出ていないのは、二日連続です」と聞くことが増えてきて、その度に「おぉ…!」と思いながら地域の連帯感を密かに感じる日々を過ごしています。

これまでは買い物はずっとネットスーパーにお世話になっていたのですが、感染者が出ていないという安心感はとても大きく、お店の入り口に消毒液と紙を準備してくれているスーパーも見つけ、少しずつ買い出しに出るようになっています。
(と思っていたらところ変わってクラスターが発生したニュースが入ってきたので、状況を鑑みて元のパターンに戻して自分なりの初心を思い出すことにしようと思います。まだまだアップダウンがありますね…)

久しぶりに自分の目で新鮮な野菜を見た時は、“わ!これで何を作ろうか…😆!”と興奮してしまいました。
(どんな食材も好き嫌いなくほぼなんでも食べるのですが、なぜか特に新鮮な野菜には嬉しくなってしまいます。)

 

買い物をしている時は買い物リストを見ながらあれこれ考えているので、店内の音楽が流れていてもほとんど聞こえていないのですが、ある日、二つの曲がふと耳に入ってきました。

一つは歌詞を聞いていると、おそらく欅坂46の「サイレントマジョリティ」だったと思います。

最近は年末に一年間に流行った曲をようやく知るようになっていて、“この曲もいつかの年末に聞いた気がするなぁ。そういえばこの曲が香港民主活動家が捕らえられた時に思い出していたという曲なんだなぁ”とふと思って、
すぐに買い物に意識は戻っていきました。

ところが次に流れてきた曲、ZARDの「君に逢いたくなったら」は、90年代を彷彿とさせる聞き覚えのある曲です。

坂井泉水さんの透明感のある声は今も色あせることなく胸にスーッと入ってきて、一緒に心の中で“ふんふん♪”と歌っていました。

 

歌詞 坂井泉水. (1997) 君に逢いたくなったら. B-Gram RECORDS.

君に逢いたくなったら…
その日までガンバル自分でいたい
青く暮れかけた街並み
また思いきり騒ごうね

ふと鏡を見れば なんて疲れた顔
他人の目には自分はどう映っているのかな?

たまには少し距離をおいて
みたかったの しばらくは
恋愛じゃない 恋人じゃない関係でいて

君に逢いたくなったら…
いつだってすぐに飛んで行ける
壊れやすいものだからこそ
大切にしたいと思う Uh…

それでもあんな出逢いは二度とないよね
悪ぶったって人の良さそうな瞳はかくせない

遠い将来がこんなに
早く来るとは 思わなかった
本当に私でいいのかゆっくり考えて…

君に逢いたくなったら…
いたずらな笑顔を想い出す
「大丈夫だよ」という君の言葉が
一番大丈夫じゃない

きっと運命が二人の
味方をしてくれるでしょう
我ままじゃない
きらいだからじゃない わかって

君に逢いたくなったら…
その日までガンバル自分でいたい
これが最初で最後の恋に
なればいいなと思う

青く暮れかけた街並み
また思いきり騒ごうね

 

 

何気なく聞いていたものの、途中で「壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと思う」というフレーズが聞こえてくると、どうしたことか、そのフレーズが頭の中をグルグル回って離れなくなったから…さぁ大変です。

ありますよね?ふと聞いた曲が頭の中を延々とリピートして止まらないことが。

すっかりその現象にはまってしまったは、帰り道の赤信号を横断歩道で待っている間も同じフレーズが頭に流れていて、やがて本当に涙が出るわけではないけれど、涙が出る前の鼻の奥がツーンとする感じが出てきたので、“あれ?なんで?”と思いながら信号を見つめていました。

この歌に「青く暮れかけた街並み」とありますが、今思い出してみるとそのときもちょうど夕暮れで、もう少しで絵に描いたような青とオレンジの綺麗なグラデーションの空が見える時間帯でした。

 

信号が青に変わって歩き出すと、最近見聞きしてすっかり忘れていたけれど、何か忘れてはいけないものがあったことをうっすらと思い出し始めます。

なんだったっけ。何を忘れてる?

 

自分にとってあまりに自然なことで、聞いた途端にすっと体に入ってきたものだからすっかり忘れていたもの。それは何だろう、
と最近の出来事を辿り始めました。

歩いていたのがラッキーでした。座って考えていたらきっと思い出せなかったと思います。

 

ようやく思い出したのは、「トランプ大統領が現れて、民主主義というのは女性のようにこんなにもはかなくて、壊れやすいものなんだということを実感されたのではないかと思う」とアメリカ大統領選挙に寄せられたコメントでした。

聞いた時にメモを取っていたわけではないので一言一句正確ではないかもしれないのですが、蜂が受け取った内容はそうしたことでした。

それを聞いたとき、「そう!わかる!」と思ったのです。

もし押しを強く出せないことを女性の性質の一つになぞらえるなら、という前提が共有されているかは大切なポイントになるとは思いますが、蜂にはそれがわかる気がしていました。

というのも、民主主義の方から人を動かそうする力よりも、人間の本能のうち、自分の生活に退屈したり虚無感を持ったときに争いや興奮を求める力の方が人を動かす力は強いと思っています。

つまり民主主義を成り立たせようと思ったら、本能よりも意思の力の方が必要になると思っていて、人間が詭弁を使って結果に合わせてプロセスをごまかしたり、虚無感を埋めるために本能がしたいことの方に流れてしまえば、民主主義は声を上げずに静かに壊れていくことを感じているからです。

そしてもしその先に、民主主義を深めたあり方があるとするなら、これまでのように多数決や法律や規則を作ることに加えて、それらを決定する前に個人的な体験や内面的な思いを表現する機会が作られ、相手への理解に沿って進めることも含まれると思っていたので、どちらかというと(人に宿る)女性性が活かされるリーダーシップになるだろうなと感じています。

 

そういえばあのコメントを聞いた時も涙は出ないまでも、体の芯の張り詰めていたものがふっと緩んだことを思い出します。

蜂が思っていたことと全く同じ意味で言われていたかは正確にわかりませんが、感じていることを代弁されたように感じる安堵感は、緊張していたものを緩ませますね。

歌にもあった「壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと思う」というフレーズも、思っていることを代弁してもらったように感じたのかもしれず(歌の本来の意味は全く違いますが)、だから涙が出る前のツーンとしたのがきたのかもしれません。

 

民主主義のもうひとつのレイヤーを加えるためにできること

忘れていたものを思い出すと思い出す歌のフレーズが広がって、「君に逢いたくなったら その日まで頑張る自分でいたい」「壊れやすいものだからこそ、大切にしたいと思う」と鳴り響くようになりました。

何度かそのフレーズが頭の中を巡った後、はたと思ったのです。

自分は何をして、過半数民主主義の先にあるかもしれない、もうひとつレイヤーが加わって深められた民主主義を迎えたいと思っているのか?と。

深められた民主主義(決定の前に個人的な体験や思いを表現する機会を作ること)は、現代の司法でも過去にも社会にポツポツと現れていて、そうした方法が社会全体のいろいろな場面に浸透している国もちらほらあります。

問題が複雑になっていて、同質の領域や集団だけでは解決できないような問題が増えている今、持続可能な方法を導き出すことを可能にする方法だと思うし、欅坂49の「サイレントマジョリティー」の歌詞にあるように「ここにいる人の数だけ道がある」「選べることが大事なんだ」ということを自ずと体感する機会にもなり、真の意味で多様性を抱える方法を編み出すことと同義ではないかと思ったりしています。
(願わくば、「僕らは何のために生まれたのか?」というテーマに対してそれぞれの答えにたどりつく機会にもつながれば、生活に虚無感や退屈を感じたときに本能的に争いや興奮を求めること(あるいは攻撃の矢が自分に向いて鬱っぽくなったりすること)が少しでも減って、持っているエネルギーをその人にとって有効に使えるようにならないかなぁと思ったりもします。)

実は大まかな方向ではこうした方法が普通の家で育ったため、若い頃はそうした方法が社会の中にないことが不思議で、それがないのが社会というものなのかと納得しようとしたり、それでも気になって探し回って、ようやく外の世界でも見つけたという経緯があります。

その中で感じるのは、個人的な体験や内面的な思いを表現する機会が作られることは、例えば納得のあるなしに関わらずに、文書に「不可逆的な合意」と表面的に形を整えなくとも(もちろん公では文書は必要ですが)、自ずと深いところで納得してしまうことや、共に作業を進める中でうまくいかないことがあったら、そのときに取り上げなかった意見に立ち返ることでうまくいくようになったということも経験しています。

一方で、決定に相手への理解が含められるプロセスを入れることは、時間と労力が半端なくかかり(時に投げ出したくなる衝動に駆られることもあります)、時間は時計の進み方通りに進まずに伸び縮みしたり、話し合いの場を出れば終わりというわけでもないので夜も考えてしまうこともあります。精神的な負荷は高いと思います。

そうした在り方は、一人や特定の中枢に権力を集めて手綱を握りたいと考える人には骨折り損のくたびれ儲けで面白くない話だろうし、そもそも今の選挙システムのままでは政治家は選ばれなければ職を失うシステムだし、こうした方法を取って体現することは目に見えてわかるような功績にもならないため、国の決定に関わる中心ですることは難しいのかなと思ったりもします。

だけどいずれそれが浸透して社会の当たり前になれば、一つ文明が進んだことになるんじゃないかとも思います。

果たしてそれは社会というより広い範囲でも可能なのか。

どのような場面でその方法をより濃く適用すると効果的なのか。

そしてそもそも、そのために自分は何をするのか。

自分が受け入れられないことや直視することがきついことに直面したり、自分の中の冷静さが崩れたときにどうするのか。

そんなことを考えながら、肩からずり落ちそうな買い物バッグをよいしょと持ち上げて、てくてく歩いていました。

 

自分にできること。自分がすること。

おそらくこれまでと大きく変わることはなく聴くことが基本で、受け入れがたい相手から気づかされた自分の苦手なことに取り組むこともだろうな、そしてキャッチボールできるように、思ったことをきちんと伝えることも磨いていくことだろうなと思っていました。

 

それでもどうしても受け入れられないこともあります。

事実があまりにも惨すぎて、どこからその考えがきているのか全然理解できなくて、うっとくることもあります。

そんな時はどうしたらいいのだろうか。

 

大きな陥没ができた民主主義

考えが行き詰まってくると、また頭の中を「君に逢いたくなったら その日まで頑張る自分でいたい」とフレーズが再び巡っていき、“その先にあるはずの深められた民主主義に逢いたいなぁ”という感覚に包まれていました。

今や過半数民主主義は過半数をとるための戦略や、組織内の固定化された人的金銭的要因が根を張っているから、選挙や採決の時の瞬間さえ通過すれば“自分たちは国民に選ばれたのだから、自分たちの意思がすなわち国民の意思だ”と勘違いして、民主主義の在り方が形骸化されている状況だと思わざるを得ないことが頻繁に起きています。

この時なぜかふと思い出したのが、20201018日の調布市の道路陥没でした。

民家が立ち並ぶ住宅街の道路が陥没している映像を目にしましたが、近隣住民は実際に起こる以前から家の境があちこちでずれていることに気づき、何かおかしいと思っていたそうです。

そして調布市の道路陥没は、2016118日のはかた駅前通りの道路陥没事故の光景を思い出させました。

はかた駅前通りという5車線ある大通りが、歩道を巻き込んでコンビニの入り口前ギリギリまで大きく陥没し、現代にこんなことが起こりうるんだと衝撃を受けたことを思い出します。

蜂にとってはあの光景と民主主義が壊されていく感覚が、時期的に結びついています。

今の日本学術会議の任命拒否の問題と当時の問題は、根本では軍事的に(特定の中枢に権力を集め、あらゆる組織の手綱を一点で握る形式で)強い国にすることへの欲望と、その考え方に対する反発、そして共通認識を勝手に見えないところで書き変えて公にすることもなく、書き換えたものを根拠に持ち出して自論を通そうとする行動パターンが共通していることを思うと、論理的な繋がりはないと分かりつつも、道路の陥没と民主主義にできた陥没には共時的なものがあるような気がしてなりません。

でも別の見方をすれば、これまで当たり前のように思ってきたものが壊されるとどうなるかを知り、壊れないようにするには意思の力が必要なことを思い出させてくれた出来事かもしれない、とも思っています。

パンデミックを経て、亀裂から光が差し込んでいるかいないかくらいでも、少しずつ変わってきている気もしています。

ただ変わるときは揺れ、数々の矛盾が飛び出します。

 

民主主義からの手紙

こんなことに思いを馳せていたら、「君に逢いたくなったら」という歌は民主主義の方からふわっと人々に届けられている手紙にも聞こえてくるような気がしました。

突拍子もない発想に聞こえるだろうと思うのですが、蜂の想像の中では民主主義は凛とした精神的に自立している女性のように思えていて、人間にこう問いかけているように思えます。

「私は疲れてボロボロになっていて、関係の変化に戸惑ってる。
これから変化していく関係を前にして、一度自分の時間をとって自分がどうしたいのか考えたいと思う。
いい関係を未来に作っていきたいと思うから、こうしたいの。
いつも一緒にいることが当たり前でないことを思い出しましょう。
壊れやすい関係を育てていくには意志の力も必要なの。
私たちが一緒にいるべきなら運命も味方してくれるだろうと思ってる。
こう思うのはあなたを嫌いだからではないのよ。
私はいつだって飛んで逢いに行きたくなるくらいにあなたを思ってる。
だからこそそれぞれの流れの時間の中で自分のすべきことをきちんとして、自分の内側を成熟させてみましょう。
そしてどうしたらこの関係を大切にできるかゆっくり考えてみましょう。」
と言われているような気がしたのです。

もしかすると、民主主義の方が私たち人間を冷静に見ていて、人を動かす力の強い人間の本能に対してはときに距離を置くことが大事だとわかっていて、互いに内面的に成熟することを求めているのかもしれない、と思うと、なぜか汗が出そうでした。

未来にあるかもしれない民主主義は人間に宿る女性的な性質が活かされたリーダーシップのような気がしているものの、その中には目的を推進する力とか、必要なものを調達する力とか、意見はきちんと伝える力など、男性的な性質も含んでいるイメージがあります。

決して一方的な女性らしさではないはずです。

 

と、ここまでは蜂の想像の世界の話ですが、実際の「君に逢いたくなったら」の歌詞やミュージックビデオを見てみると、主人公は未来に変化が起こりそうな予感の関係を前にして、一度立ち止まる時間を作ろうとしています。

これから築こうとしている関係は壊れやすい性質を含んでいることを理解していて、その上で関係を大切にしたいからどうするのかを考え、次に逢える日まで個人として頑張る時間を作り、家の中で本を読んだり、物思いに耽ったり、部屋を磨いてみたり、絵を描いたりして過ごそうとしています。
(家の中にいるという設定が今のコロナ禍には重なって、ちょっと滲みいるところがあります。)

そうすることで個人として成熟し、未来の関係にコミットするために整えるべきところに気づき、コミットした時に継続するための意志の力を固めようとしている気がします。

そして、どうしてそんな時間を作りたいのか、その間にどう過ごして欲しいのかを相手に伝えています。

 

自分なりの答え

歌の最後に「青く暮れかけた街並み また思いきり騒ごうね」とあるのを聞くと、夕暮れの街並みに映る夕日の色が広がってきて、
「日暮れに街に映る色はグラデーションで、その間をたった2色で埋め尽くせるようなものはないでしょう?
その違いを見てとれるような成熟した個になって、また一緒に思いっきり騒ごうね。」
と語りかけられている気がします。

…ということは、自分のできることにきっちりと努力して、自分の周りにもそうした成熟した個を育てている人がいるようになっていったら、一人で抱えるには重すぎることにも少しずつ目を向けていけるのかもしれないし、自分が行き詰まって機能しなくなったときでも、代わりに誰かがその場を支えてくれるかもしれない、と思えてきます。

そのときにちょうど見た夕暮れが濃い青と濃いオレンジを両極にした神秘的なグラデーションが広がる空で、どうしたら濃い青と濃いオレンジをこんなにもきれいにつなげられるんだろうと見入っていましたが、今はまだなんとなく感じるだけでも、あの空がたくさんの答えを孕んでいるように思えています。

 

blue and orange sky

Photo by Thomas. Pexels
いつも見とれる時は写真を撮るのを忘れてしまうし、見上げた山の端は街の中だったのですが、まさにこんな色だった!という写真を見つけました。満月に近いまん丸な月も光っていました。

 

 

 

 

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