これまでのパターンを破る

 

 

大きな問題をよく整理してみると、繋がっていないかのように見える他の問題が含まれていることがあります。

パンデミック化での感染抑止という課題を前に、リーダシップという言葉が聞かれるのも、そうしたことにつながっているのかもしれません。

 

様子見のための緊急事態宣言の発令

日本では202047日に緊急事態宣言が出て、70%強の民意はようやく決定されたと思うという結果が出ました。

政府は非常事態宣言は出したものの、宣言による効果を見ながら、2週間は休業要請という施策を出さないというのが現状です。

つまり政府の責任を伴う計画は後出しにして、国民の自発的な善意に頼り続けることで、政府としての結果を出そうと期待しているのだと思います。

(ただし経済への影響を考えて様子見をしていると、対策を打たないことで二次被害が出ている可能性があります。

実際にある病院の関係者が伝えていたことに、病院が新規外来を断らざるを得なくなり、早期ガンの治療に来た人の診療を断らざるを得ないケースがあったと言います。

その患者さんが数ヶ月後に受診できるようになったときには、ガンが進行している可能性があり、すでに早期発見ではなくなるというのです。)

 

感染者が最大数の東京都の危機感と、政府の様子見の姿勢

緊急事態宣言を出した後に考えている計画でも、政府と東京都の間でこだわっているポイントが違うようです。

霞ヶ関の考え方では、政令の対象となる施設は床面積が1000㎡以上で、理美容は生活に必要な施設と考え、休業要請の対象ではないとしています。

一方で東京都は、自粛要請の対象は狭いところほど感染リスクが高まるのだから100㎡以上とし、理美容も対象であるいう基準を出しています。

周辺の知事は国からの資金を受ける立場であるために、緊急事態宣言の効果を見るとして政府に習っています。

経済への影響を重視するのか、医療現場の現状を考慮して、最悪の事態に命の選別を行わなくてよいように、出来うる限りの感染防止対策を初めに一気に打つのか。

これらの計画は、どちらの方が命を守るための動きとして、実感に近いでしょうか?

 

(私たちの考えでは、政府の対策の目的が「経済か感染抑止か」のフェーズがようやく過ぎて、現在の政府は「経済も感染抑止も」と考えているのかもしれませんが、命の危険を伴う感染症が広まっている今、対策の目的は「感染抑止のちに経済」なのではないかと思えています。

少なくとも守りたい人の命を最優先に考える家庭ではそのように考えます。

法律を盾にし、マクロの視点から分類的に見ていると、抜け落ちているのが生活の実感です。

医療の現場とウイルスの動きを考えると、この緊急事態時に、さらにはこれまで法律を柔軟に解釈してきた政府が、どうしてこのような詳細にこだわって大局的な判断をできないのか、不思議でなりません。

政府はこれまで、対外的な(あるいは防衛的な)決断は時間がないと言って素早く決定をしてきましたが、何も問題が起こらなくて成功とされる医療など内情に関する決断は、とても優柔不断で後ろ向きに見えます。

政府や霞ヶ関の判断の際に見てる対象は、数字とカテゴリーなどのデータのまとまりと、足並みを揃えること、つまり政府より先に周囲が動かないことであって、人々の生活の流れではないのではないでしょうか。)

政府の非言語的なメッセージでは、経済活動への影響の強い懸念と、積極的な感染抑止対策に対するおよび腰を滲ませていて、言語的メッセージでも「都知事が先走っている」とこぼしたり、経産省のある方は「東京都は足並みを揃えて」と話していました。

政府や霞ヶ関は混乱を警戒し、経済対策を気にしているのだろうと思います。

(COVID-19が発生して政府が専門家会議を開くと宣言したのは、発生を確認した数日後のことでした。)

 

オリンピック開催延期から頭をすぐに切り替えて、危機感を滲ませて現状を伝え続けた都知事の行動や雰囲気と、医療関係者の切実な求めの方が、起こっていることに対して理にかなっているように感じ、自分たちが何をすべきか考えるきっかけを全身で伝えてくれたように思います。

 

これまでのパターンを破るリーダー

リーダーが全てを把握している、何をすべきかわかる、結果を見通せる、自信たっぷりに未来を語ることができるという状態は、この時代には不可能で、それを追い求める必要はないと思います。

これは前回、「リーダーとは権威と同義ではない」と書いたことに加えたいことです。

中国では感染の発生を伝えようとした医師の意見をリーダーが聞かなかったことで、爆発的な感染が広がりました。

一人の偉大なリーダーは機能しないことを示した例だと思います。

 

さらに前回書いた、「アイディアを持っている人がリーダー」ということに加えて、リーダーがすることは「古いパターンを破ること」だと思います。

逆に言えば、これまでのパターンを破れる人がリーダーなのかもしれません。

古いパターンを破れば、ほぼ必ず周りから攻撃されます。

それでも見ている人の実感と時が、いずれ評価を定めるはずです。

 

地方ニュースを見ていると、店の経営者が「自分たちとお客さんの命を守るほうが大切だから、臨時休業にしました」と清々しく話していました。

少し前には、自分のお小遣いで生地を買ってマスクを作り、高齢者施設に贈った和歌山の女の子がいました。

スペインの経済大臣はベーシックインカムを導入を検討すると言及しました。

自らの痛手と変化へのチャレンジを受け入れながら、古いパターンを破っている人たちがいます。

 

大きな発想転換

「馬車の馬の糞が道いっぱいに溜まるので、今後のどれくらい溜まるのか予測を試算をしたら、とんでもない量の跳ね上がり方だった。ところがその後車が登場して、糞の心配はなくなった」というエピソードを何かで聞いたのですが、それを最近よく思い出します。

このくらいの発想の転換が必要なのかもしれません。

そして中身を変容させられずに古いパターンのまま行動していることは、もしかすると一番の損失なのかもしれません。

ビーレエションシップを探検!