一直線の集中

 

 

(この記事は、「大きな器」の続きに当たります。)

 

 

鎮火の方法の示唆

 

きらきら光るものに意識が向いていたとき、この投稿に目が留まりました。

 

 

この写真は、の解釈が間違っていなければ、
ほとんど重力の影響のない微小重力の環境で、炎がどのように燃えるか、をとらえたものだそうで、
そのような環境下で炎は、涙型に燃え盛ることなく、小さな球の形となるのだそうです。

上の投稿の最後には、
「この現象を理解することは、炎を鎮火させる方法についても、より理解を深めるのに役立つ」と締め括られていました。

 

今の全国の感染爆発の状況を、燃え盛る火に例え、早急に鎮火させる方法が必要な場合、
この現象は示唆に富んでいるような気がしていて、ずっと心の中に残っていました。

 

ところが、ほとんど重力の影響のない微小重力という環境を、通常の生活でどのように作り出せるのだろうか、
という疑問がぬぐいきれませんでした。

今でも、はっきりとした説明ができないので、疑ってみてもらって構わないのですが(むしろお一人お一人の、周りに流されず、独立した考えと行動が必要な時期かもしれません)
これは、「一直線の集中を重ねなさい」ということを伝えているのではないか、と思うようになっています。

どうしてそう思うのかについての詳細は端折りますが、大まかに言いますと、
この写真を初めて見て、すごく気になっていた頃、身の回りで、
「炎の扱い方を学びなさい」と言われているような、突発的な出来事に見舞われました。

命の危機にもつながりかねない、その出来事を乗り越えるために必要だったのは、
「どうでも良いことは放っておき、大事なものだけに焦点を当てて、実行していく」ことでした。

その結果、現状を乗り越えただけでなく、
長年、不可能だと思っていたことを軽々と乗り越え、
それが生活の質を改善する行動だった、という発見がありました。

それを邪魔していたのは、「(できないという)思いこみ」でした。

 

 

事例

一直線の集中というと、2020年の年末の出来事を思い出します。

目の前に差し迫った課題を突きつけられ、
それぞれが、それぞれの立ち位置からできることを、精一杯に出し切って、繋いで、
本当に今気づかなければならない事象や矛盾を、浮かび上がらせる事ができた時だったように思います
(ここが、真空状態のような、高度な集中を必要とする、大事な段階だと思います)。

その結果、現状の仕組み(人々の意識や法律の解釈など)が揺れ動き、焦点を当てる部分が明確化されていき、炎の球のような状態になったのではないかと思っています。

 

現在も、問題から対策へと向かう一直線の集中は、すでに起こっているように思います。

2021年8月19日に、千葉県でコロナウイルスに感染していた妊婦さんの救急搬送先が見つからずに、妊婦さんは自宅で出産し、赤ちゃんが亡くなるという、痛ましい出来事が起こりました。

翌日、その出来事を受け、千葉大学病院が、感染している妊婦の専用病床を設置するというニュースが流れました。

ものすごく早い対策だと思います。

 

また、ミャンマーのサッカー選手が、日本でのワールドカップの試合でミャンマー国軍への抵抗を示し、
帰国すると命が危ないということで難民申請をし、
異例の速さで、難民申請が認められた、というニュースも今日流れました。

 

早くすることだけが、万事いいことではないことはわかっているつもりですが、
命に関わる判断だけは、早すぎても早すぎるということはないと思います。

時の流れを待ってうやむやにしたり、したいことに論点をすり替えることは、論外です。

こうした場合、リーダーは立場のある人ではなく、先を読めていて、何をすべきか見えている人、アイディアのある人です。

こうした流れがすでに起こっていることは、感染爆発の燃え盛る火の中でも、一筋の希望をもたらしてくれる気がします。

 

 

ルールブックと法律

感染対策のパラレルワールドをオリンピック外にも作ろうと考えた場合、まず何がいるかな、と生活者目線で考えていると、
オリンピックのプレーブックに当たる、日本の感染対策集、ジャパンブック(?)の存在がはっきりと見えてこないことに気づきました。

災害時は、ないものを一から作るのではなく、あるものを転用するのが鉄則です。

すでにルールブックに当たるものがないかを探していると、「内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室の感染拡大防止 特設サイト」を見つけました。

読んでいると、
”基本的にこれらが生活の中で対策として徹底してできていたら、生活者目線では大丈夫なのではないかな”と思えるくらい、大事なことが端的に網羅されている気がしました。
(人と感染対策の考え方を共有するときの土台にもなると思い、早速このページをブックマークに追加しました。)

(もしこの記事の文脈で、特設サイトを読んでいて気がついたことがあるとすれば、
ページのトップに、「気を緩めると疎かになりがちな課題」(「感染リスクが高まる5つの場面」)が表示されて、
時の経過とともに、新たにわかった事象や課題が、定期的に更新される形になると、
繰り返し訪れて、読みたいと思う人が増えるのではないかな、と感じました。

それに続いて、一般的になりつつある対策(「手洗い・うがい・(いち)密を避ける」など)やメッセージが、
「再度の基本の確認」という形で表示されたら、個人的には頭にスッと入ってくる気がしました。)

 

そして、盲点になっているのが、
「こういう状況の時に、為政者はこうする」という、為政者に対するルールブックが存在しないことではないでしょうか。

全国の感染状況を示す、病床使用率などの指標がいくつか設けられていると思いますが、
一部の為政者は、これを設定当初の約束通りに読み取って、対策に反映していない気がします。

言う事がその人の気分でコロコロ変わったり、
それが引き金となって、感情的な対立となり、多くの人を巻き込んだり(そのしわ寄せは、立場や力の弱い人に向かいます)、
喉元過ぎ去れば、起こったことからの教訓も全て霧中になり、次のことへ関心が移ったりする、ということも防げると思います。

「為政者はこういう時にはこうする」というコンセンサスが明示されて、国民と共有されていれば、
それは政策の決定や修正の土台となり、国民の安心感や、困っていることを発信すれば伝わるという家の感覚にもつながる気がします。

完璧である必要はなく、可視化され、波を越えるごとに修正ができる土台となれば、それでいいと思います。

 

簡潔な内容でまとめられ、可視化され、共有されるプロセスは、
多くの人の意識をそこに集め、鍛治のように共通のルールを鍛え上げることになるだろうと思います。

それは、一直線の集中になる気がしますし、
こうしたルールブックが、ひいては、「法律」ということになるのではないかなと思います。

 

(物事が落ち着いたら、願わくば、社会に国民の意思を迅速に届けるシステムが欲しいなぁと願ってしまいます

 

 

 

 

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