一次情報の大切さ

Kengington Gardens_002

 

オープンフォーラムの形式にもいろいろありますが、
そのうちの一つの形式として、質問の内容が様々な角度からバランスよく盛り込まれて、尋ね方もコンパクトに凝縮され、
尋ねられた人が自由に話す時間的な余白がきちんと取られているのを見ると、
あぁ(流れが)きれいだな、と思いながら、内容にずんずんと引き込まれていきます。

直接参加することができれば一番純度の高い情報や体験を得られるのですが、
そうもいかない場合、最近はライブ配信や中継などメディアを通じて見ることができるようになってきました。

普通に生活していると、ある出来事を編集したものや、細切れの情報に解釈などが加えられた情報などは目にしやすいのですが、
できる限り編集の少なく純度の高い、ありのままの時間の流れを知ろうとすると、自分で探していく姿勢が必要になることを感じています。

それは手間はかかるけれど、自分の体感を通して理解することにつながる気がしています。

 

今、日本の社会では自民党の総裁選が始まっています。

個人的には蚊帳の外の立場ですが、関心をもって見ています。(相変わらず時間の許す限りというスタンスですが😅)

見ることができてよかったなと思ったのが、2020年9月8日に行われた共同記者会見でした。

質疑が立体的に噛み合っていて、物事をどのように見ているのか、そしてそれに対する考えが聞けたことはもちろんのこと、
相手の立場も想像できる材料を提供してもらえる議論が、日本でこれから多く繰り広げられていくといいなと思っていました。

個人的には、”へぇ、こんなこと(経緯・視点・制度・事情)があるんだ、知らなかった!(もっと知りたい!)”と思ったり、
“舞台裏ではこんなことがあるんだなぁ”と職場体験の中学生のような気持ちになったり、まだまだ知らないことがたくさんあるなぁと思えてくるから不思議です。

 

自分のメモも兼ねて、共同記者会見の動画のリンクを整理しておきます。

(メディアによって雰囲気が異なることを感じているため、
動画の内容はほぼ同じではないかと思いますが、ざっと調べた限りで見つけられた提供元の一覧を挙げておこうと思います。)

 

参考情報

 

 

(余談ですが、2009年頃だったかと思うのですが、BBCのiPlayerという見逃し配信サービスが便利でいいなぁと思っていたので、今、日本でNHKプラスという見逃し配信サービスがあるのを知ると、不思議なような嬉しいような気分になっています。)

 

時間はさらに流れていて、2020年9月9日には自民党青年局・女性局主催の公開討論会が行われていたり、日本記者クラブで合流新党の代表選立候補者討論会が行われていたようです。

 

討論を通して聞いてみたいけれどまだ追いつけていなかったり、人の語る言葉に熱を感じて嬉しくなっていたり、いろいろな感情と状況が渦巻いていますが、少し休んだら思い出したいなと自分に思うのは、オープンフォーラムはそれがゴールではなくて、そこで生まれたエネルギーや気づきをそれぞれが持ち帰って、自分のできることにつなげていくことだろうということです。

この記事は自分への備忘録ですね😅

 

 

2020年9月12日に日本記者クラブで自民党総裁選公開討論会が行われたようです。

9月上旬のこの期間の公開討論で出た内容が、いつか戻ってくる地点になるような気がするので、まとめておきたいと思います。

 

どうしてまとめておきたいのかなぁと自分に問うてみると、
総裁選が終わった今感じる雰囲気が、2002-2004年とか15年くらい前の雰囲気に戻っているような気がするからかもしれません。

個人的には、役職や権力がある地位がすなわちリーダーシップとは思えなくて、
リーダーシップは生き物で、人を助ける力と同様に、みんなの間を回っていくものだと思っています。
(一人や一つの物の見方で、現在の全ての問題に対処することは難しい時代になっているためだと思います。
ただ権力を持つ人は、自らの意思を溶け込ませたシステムを作ることはできると思います。)

COVID-19によるパンデミックも、それを私たちに感じさせたのではないでしょうか

 

8月に戦後75年を迎えて製作されたドキュメンタリーを見ていた時、
「私たちは戦争から時間が経つ中で、何を共通体験として生きていくのでしょうか」という締めの言葉がありました。

それを聞いた時に即座に、「東日本大震災があるじゃない…!」と思いました。

やがてこのパンデミックも加わっていくと思います。

 

東日本大震災を機に、建築業界から、
新しく建物を作る時には地域住民も話し合いに加わってもらうように促す変化が起こり、それは全国に広がりました。

そこで気づき始めたのは、
物は豊かになり、いわゆるいい学歴やいい会社への就職、都市への憧れを追い求めて今がある反面、
人と顔を合わせて話す精神的な豊かさが置き去りになっていることや、
見逃されてきた地域の特性があるということではないかと思っています。

特産品があることも素晴らしいことです。

物流や予算の流れがあることも大事です。

成長産業が国に必要なこともわかります。

それらを経済成長の名の下にさらに追求していく方法もあるのかもしれませんが、
私たちはその方向は限界に近いのではないか、
そればかりに焦点を当てていては、国の基盤はどんどん脆くなっていくばかりではないかということにもう薄々気づいていて、
それを一歩先に進めた価値観や加えるべき他の軸がある気がしています。
(実際にパンデミックの第一波では、医療に関する積極的な試行錯誤はできていないように見えました。)

つまり、地域に誇りを持てるのは、
あの人と縁があったり、ここでこういう体験をしたから(それには特産品を一緒に食べた記憶もあるかもしれません)、という実体験とも結びついている気がしていることや、
地球温暖化に伴う豪雨や台風などの身近に迫りつつある環境問題を考えれば、
人にしても物にしても移動にかかるエネルギーの問題を、持続可能性から見直さなければならないのではないかということが挙げられます。
(個人的に最近発見だったのは、ふるさと納税制度の意味を考えるほどよく分からなくなっていたのは、もしかすると一人ではなかったのかもしれないということでした。)

 

こうしたことを気づかせたのが東日本大震災であり、このパンデミックであるように感じています。
(起こってほしくありませんが、これから南海トラフ地震の可能性もあります。)

そうした内面的な変化に対する認識がごっそり抜けているような気がしていて、
だから15年くらい前に戻ったような気がするのかもしれません。

 

(もしかすると政治の決まり方もあるのかもしれません。
政治にあまり関心のない人と話していると、
相手から自然に「総取り方式は意思を具体的に反映していないのに、どうしてこのやり方があるのだろう」という話が出てきて、「やっぱりそう感じる?」というやりとりがありました。)

 

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