本質を見つけるために

penguin_gazing

 

 

私たちの集合意識体の肺という記事では、は「どうか心を凍らせないでください」と書きました。

「しないで」という言葉は起きていることに本当に寄り添えているときには使わない言葉では、というフィードバックをいただき、思いを巡らせていると、多分あの言葉は過去の自分に言い聞かせるように書いたんだろうな、と気づき始めています。

(かつて心の奥深いところに凍ったままの何かがあったとき、あらゆることが不確かな感覚に包まれていたことがあったのです。)

すでに誰かの心の中に凍っているものがあるときにその言葉を伝えたところで、役に立たないことはよく考えれば明らかです。

同時に、直線的に物事を見る人に伝えようとするとあの言葉がどうしても必要だった、というのも、あの時の率直な気持ちです。

 

とはいえ、どうしたことか今、蜂は積極的に凍らせてみたい何かが心の中にあるのを感じています。

(ようやく最近の記事を書き終えた後のたまらない眠さと疲れから抜け出し、心の中の水面が静まっています。)

蜂にはかつて、深いところの気持ちに凍っていたものがあったことを書きましたが、それは良くないことだったのでしょうか?

確かに、何が噛み合っていないのか簡単に見つからずにもがいて、つらい時期を過ごしましたが、あの経験があったことで、自分にとって何が無駄なもので削ぎ落とす必要があり、何が本質的なものでエネルギーを注いでいくものかわかった気がしています。

 

今、ポジティブな意味で心の中の何を凍らせて固体化したいのかわかっていませんが、どこから始めようかという検討はつきます。

まず始めに、頭に浮かんでいることを集めてみることにしましょう。

 

最近は多くの人がオンラインミーティングを使っていますが、それが多くなると家が外になってしまうわけで、蜂は実はちょっと一歩下がって本の世界に行きたいような感覚が芽生えています。

 

また、最近の私たちの記事は緊張度が高いものが続きましたが、裏では楽しい時間も過ごしています。

ある日伊都がおもしろい聞き間違いをして、それを聞いた蜂は、歩いている途中にあまりにおかしくて力が抜けて座り込んだことがありました(いつかご紹介できればと思います)。

それがきっかけとなって、家の中で劇場にいるように場面を設定し、想像力を働かせて大人のごっこ遊びが始まりました。

伊都は大いに笑い、蜂は自分の本質を反映しているかのように感じて大切にしている映画のひとつ「ネバーランド」を思い出したのです。

 

その後オーストラリアのどこかの海に、訪れる観光客が減ったためかイルカが戻ってきたというニュースを聞きました。

それを聞いた蜂は、早春に見つけた堆肥箱のうれしい光景を思い出しました。

冬の間手つかずだった堆肥箱の中で、丸々と太ったミミズとミミズの透明な卵とたくさんの小さな赤ちゃんミミズが生まれているのを見たのです。

(ミミズがいた堆肥を土に混ぜると、ほとんど何も手をかけなくても、つやつや活き活きとした植物が育つのです。)

 

さて、このような感じで頭に浮かんでいたことを集めていると、深いところで眠っていた感情が突然ぽこんっと飛び出してきます。

これが楽しい瞬間です。

蜂は自分の未来の子どものためにも、学ぶプロセスの変容をずっと夢見てきていて、手を動かし続けてきました。

オランダやスウェーデンやフィンランドの教育システムは、底上げを徹底的にはかり、出来る人は自分のプロジェクトを進めたり、友達に教えたりするシステムが取り入れられていて、そうした学習の流れが蜂はとても好きなのです。

大人にとってもいい考えだと思うので、あとはどれくらい実践したり教えられる人がいるかが鍵になるだろうと思っています。

(現在の日本の状況のいくつかを見ていると、無意識のうちにこうしたことを繰り返し考えてしまいます。しばらく眠っていた情熱は、緊急の課題のような気がするのです。)

 

エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちに今、スポットライトが当たっています。

少なくとも私たちには、余分なものを削ぎ落とした後に見えてくる「本質」がキーワードになっています。

みなさんの周りではどうですか?

みなさんにとって本質的なものとは、どんなものがありますか?

ビーレエションシップを探検!