体の向かう方向

 

 

 

2021年10月14日にNHK総合で放送された「藤井風、届け世界へ」(見逃し配信:2021年10月21日(木) 午後11:14 まで)を偶然見ていて、
その中でいくつか紹介されていた曲のうち、「何なんw」という曲のメロディーと、
中国地方の方言っぽい歌詞が、とても印象的で、耳に留まりました。

 

♪♪

先がけて ワシは言うたが

それならば 何なん

何で 何も聞いてくれんかったん

 

その顔は 何なんw

 

あの時の笑顔は 何なん

あの時の涙は 何じゃったん

♪♪

 

ちょうど広島に気持ちが向かっていた時で、
初めは、”広島弁かな?”と思ったのですが、
この方言は、藤井風さんの出身地の岡山弁なんですね。

どんな曲なのか、全部を聞いてみたくなって、探していたら見つかったのが、
上記のミュージックビデオでした。

 

初めて聴いて印象に残ったのは、
音の厚みと、曲の中に幾つか表情があるかのような心地よさであったり、
やっぱり、何と言っても、岡山弁でしょう。

岡山弁を掲げて、ニューヨークでミュージックビデオを撮影しているというギャップも、
藤井風さんの自然なお人柄を表しているかのようです。

地域と世界が直接つながるような感覚が、は大好きです。

藤井風、届け世界へ」の最後にあったように、
藤井風さんが、地元の岡山で、子どもを眺めながら、
「これからもいい音楽を聞かせたらんといけんなぁ、という親心が芽生えてきそうな勢いっすね」
と話されていたことと、それを話すペースが本当に素敵でした。

(「はさがる」というのは、「はさまる」の方言なんですね。改めて考えたことがなかったけれど、標準語かと思うくらいの気分でいました…!(蜂の周りでは「はさかる」と言います。)
…全く話が違いますが、さつま揚げが全国区でない(九州くらいまで?)、と知った時も、軽い衝撃を受けました。(だから、近くで見つからないのかぁ‥!と。)
同じ日本でも、ちょっとした違いがあって面白いです。)

 

 

知らない土地を歩く

このミュージックビデオを見ていると、
体のスイッチが一つ一つ押されて、起動し、
体がだんだん滑らかに動いていく様子が、個人的に見ていて心地よく、
蜂も家事の合間に、この歌を口ずさみながら、小さな子どものような くねくね踊りが自然に出てきたり、
気分が乗ってきたら、手をクルクル回して、自分もくるっと回りながらスキップしたくなります。
(白い衣装の人のように、ベンチに手をついて、ふわっと宙を舞うことができたら、どんなに気持ちがいいだろう…!とミュージックビデオを見るたびに思います。
怪我するだけなので、真似できませんが。。)

 

蜂は運動音痴で、これまでに一度も逆上がりができたことがなく、
水泳のテストでも、息継ぎをするときに、水が鼻から入ってくるのが痛くて嫌で、ひたすら潜水で泳ぎ切ったり、
マラソン大会の前は、悲痛な気持ちで練習したり、体育の授業やマラソン大会そのものが雨になることを祈ったりしていました。

一方で、不思議なことに、
バレーボールでは、一度だけ偶然に、ネット際でアタックを決めて、
その感覚が自分も心地よく、仲間に褒められて嬉しくなったり(その後、一度も決まらないので、友達に止められましたが。。)
柔道のテストでは、不意に一本背負いをしたり、
ソフトボールでは、ボールの芯を捉えて、ランニングホームランになったという、
片手で数えられるだけの、体が自然に動いて、心地よかった経験を思い出させてくれました。
(振り返ってみれば、自然に体が動くというのは、
気の許せる友達に囲まれていたというのも大きかったのかな、と思い始めています。)

 

そして何より、初めての土地にいたときの、とても懐かしい気分になりました。

目が覚めると、窓からすぐに見える、大きな針葉樹を必ず眺めて*
部屋から出る前には、
言葉の切り替えが辛いから、気合を貯めるために、15分くらい部屋にこもったことや、

肌がパキパキに割れそうなほど、ひんやりと乾いた空気の中で、
鏡の中に映る自分を見ながら、今日の自分は誰なのかをぼーっと考えながら、歯を磨き、
下へ降りる階段が、まさに言葉の切り替えの通路だったこと。
(一度、階段ですべってずっこけたと同時に、不安を我慢していたのがプツンとはち切れて、その場で大泣きしたこともありました。。)

お昼はサンドイッチ一枚とカプチーノで、とにかく自分の体が行きたいという方向へ、
地図を持って、一日中ひたすら歩いて、歩き回る日々を続けたこと*

駅に着いたときには、まるで異星にきたかのような感覚にとらわれて、
何を見ていいかわからなくなって、座り込みそうになったことや、
人混みの中で、何線が何番ホームなのかを、すぐに判断できるようにするために、
駅の入り口の近くで、構内に背を向けて、人を待つふりをしながら、15分くらい一人立ち尽くして、気持ちを整えたこと。

ホームに入ってからも、
”この電車の向きは、自分の行きたい駅の方向だよね?”と、
電光掲示板と、ホームの向かい側の壁に見える路線図を、何度も何度も目を往復させて確認したり、
電車の中に乗り込んでも、人が多くて、奥に流されることが多かったので(アジア人はどうしても小さいですね。。)
次第に、出口の近くにいつもいるように踏ん張ったこと。

 

今、コロナもなくて、時間にもお金にもゆとりがあって、
何も緻密に考えずにすみ、できることなら、
直行直帰でいいので、この時の場所にもう一度訪れて、探したい場所があります。

それは一度連れて行ってもらった、地域の教会とカフェで、
そこの空気感が本当に心地よく、印象に残っているのですが、
正確な場所を覚えていないので、その場所を探しに行きたいなぁと思ってしまいます。

 

耳だけでなく、体感にも心地よいミュージックビデオに、心を掴まれたうちの一人になりました。

 

 

ハイヤーセルフ

藤井風さんによる、「何なんw」の解説

 

歌を聴いているうちに、”この歌ってどんな意味なんだろう?誰かと仲違いした時の歌?”と思い、探してみると、
藤井風さんご本人が、この歌の意味を解説されていました。

 

ハイヤーセルフ。
思いがけず、懐かしい言葉を聞いたなぁ、と思いました。

学問と、当時タブー視されていた 精神性との間に属する カウンセラーの先生にようやく出会うことができ、
セッションを重ねていたときによく使われていた言葉が、それでした。

解説の動画を聴いて、”なるほど!”と思い、もう一度ミュージックビデオを見直してみると、
白い衣装を着た人の意味が、より一層際立って見えます。

 

知らない土地で、牛乳一本の買い物さえ、何一つ満足にできなくて、ある公園のベンチの前で蜂が立ち尽くしていたときに、
さっと吹いてきた大きな風のざわめきに、
”そのまま進みなさい”と祖父の声が乗っていたような気がして、再び歩き始められたことや、
パスポートを受け取った帰り道、並木が綺麗な道を歩いているときに、木々が風で揺れてざわめき、
その瞬間、”世界”と”地域”がつながる感覚が、心の中に微かに生まれて、
その時は、”ありえない”と不確かに思えて、かき消したものが、
長い時間を経ると、”実はあれは、いずれ確かになる方向だった”ということを思い出しました。

 

ハイヤーセルフと現実の世界を繋げるには、自我の力がいるように思います。

どちらかだけに傾きすぎてもうまくいかないように思えていて、
その世界観を、多くの人にわかりやすく、歌という現実的な形にまとめあげた藤井風さんの才能は、すごいなと感じています。

 

もし「何なんw」が、エゴとハイヤーセルフが言うことの違いによる、葛藤を歌っているとするなら、
ハイヤーセルフの声を真っ直ぐ聞こうとする自我の姿は、
Military Wives Choirの”Stronger Together”という曲に現れているように感じます。

イギリスの軍隊に所属する旦那さんの奥さんたちが、
イギリス各地で合唱団を作って、歌を練習し、

ロンドンに一堂に集まって歌った時の様子が、ミュージックビデオになっています。

従軍する旦那さんを待つ間の彼女たちの押し込めた思い、
「ここが自分の場所と思える、家だと思える、そんな安心できる場所が欲しいと思う時がある。
ある時、自分の名前を呼ぶささやきが聞こえて、その声がだんだん大きくなって、それに従っていくと、どんどん高みへと導かれた。
ざわめきの上にある、あの声が聞こえますか?
私たちを別つものは何もない。一緒に強くなりましょう。一緒に乗り越えていきましょう。」
という思いをみんなで歌っています。

 

Military Wives Choir “Stronger Together

 

 

 

 

何でしょうね。今は、いろんな課題が大体出されていて、それを解決していく段階に入っているのでしょうかね。

そのときに、
あの時、後ずさりできる余白がないような、ギリギリの状態になったこと、
先の見えなさに泣いたこと、
崖っぷちから落とされるものを見たこと。

そんな中で、
当たり前に思えていた、”些細な”ものが、
実は人生でとても大切なものだった、と気づかされたことを、忘れないでね、
と言われているのかもしれないな、と思います。

 

そして、次の行動を取るときの指針となるのが、
自分の体の深い部分がどう反応するか、なのかもしれません。

我慢してきたから、などの理由ではなく、
なんというか、感覚そのものが変わってきていることを、自分の中に感じています。

もし具合が悪くなるなら、何かを押し込めていて、道を修正する必要がある可能性が高いし、
味わいを感じなくなったのなら、次の何かへ進むときなのかもしれないし、
全てがトントンとうまくいって、自然に体が動かされるような心地よさがあるのなら、
その道であっている、ということかな、と感じています。

(個人的には、”「(頭で考えれば)この道であるべき」という道から、迷いながらも外れたときを、もう一度思い出し、
そこと今が、どう繋がっているかを、もう一度振り返ってみたら?”と言われているような気がしています。)

 

 

さて、最後に「何なんw」をもう一度聴いて、この記事を締めくくりましょう。

 

♪♪ あの時の笑顔は何なん

 

♪♪ あの時の涙は何じゃったん

 

 

最後にもう一度! ミュージックビデオ「何なんw」

 

 

ミュージックビデオ「何なんw」撮影の舞台裏
「闇が濃くなった時に、人は初めて光を探し、絶望の中にいて初めて、内なる平安を探そうとする」
という言葉が印象的でした。
まるで、大きな大きな波を超えた今にぴったりな気がします。
闇と絶望を忘れないで、それらを抱えて、光や内なる平安へと歩きたい。
ひんやりとした空気の中での、ハラハラドキドキ感を感じます。

 

 

 

追記:2021.10.21.

この歌を聴いているうちに、意識の深いところが、緩みに緩まって、

現実では、物事をバシッとつかめないふわふわ感に、悶えにもだえて、

次第に、内側にエネルギーが、溜まりに溜まるのに耐えかねて、

体のおもむく方向に、(理由を考えずに)長めの散歩に行ってみると、

 

その過程で、

一度は気配を感じていたのに、見過ごしていたことや、

一見、意味あることに見えなかったけれど、実はフックになりそうなことが、
ポロポロと出てきています。

 

未だに、それらをどう統合していいかはわかってはいないけれど、

エントロピーという肥え溜めにダイブしないために、

グッと止まる時間が、この歌をきっかけにあってよかったな、

と思っています。

 

 

 

 

 

 

ビーレエションシップを探検!