土地から沸き上がるもの

 

ミツバチの合意形成」で「ただでさえCOVID-19の対応で慌ただしいときに、辺野古基地移設問題の中核にいる沖縄県に埋め立て地の設計変更申請を出すことは、傷口に塩を塗るようなものでは」と書いたため、無意識に何かが残っていたのでしょうか。

NHK 「目撃!にっぽん 辺野古に住んで見えたこと~”移設先の町”4か月の記録~」という番組を見つけていて、録画したものを先ほど見ました。

取材を受ける住民の方には本土からやって来るメディアに不信感があることや、集まってくる反対派の人達の中には地元の人が少ないことが伝えられていました。

どうしてか。

地元の人が声を上げることやこのテーマに触れることに、ほとほと疲れているからだと、番組全体で伝えていたように思います。

このテーマを考え始めれば、顔を合わせる人との関係が変わるのだそうです。

そして立場が違う隣近所との会話がなくなり、親戚づきあいも変わっていて、
「それが嫌というよりも、もうつらいのだ」、
「取材のカメラに向かって大きな声で叫びたい気分よ」とある住民の方は静かにおっしゃっていました。

相当のストレスのはずです。

(こうした状況はある人が小学生の時から十数年続いていて、
おまけに地域のために補償の条件付きで移設を受け入れても、国の補償の話は確約されずに二転三転するのだそうです。
補償を受け入れることは本意ではないため、重くのしかかるものをずっと感じているようにうなだれながら、時に顔をあげて話していらっしゃいました。)

 

疲れて動けないとき、気力が出ないとき、当人に立ち上がることを望むのは酷なことです。

それは家族で考えても同じで、誰かが動けないほどに疲れているときは休んでもらって、
たとえ周囲の者が慣れていなくても何を探すべきかをまず探して、それから動いていくことになります。

 

 

海を汚される感覚

が番組を見ていて一番きつかったのは、辺野古の住民の方が「土砂が投入され始めた海を見に行かない」と怒るわけでもなくおっしゃっていたことです。

土砂を投入された海を見に行きたくないのも、「自分の庭に無条件で強引に、汚いものを投げ込まれるのと一緒さ」とおっしゃっていました。

それは誰かが突然自分のオフィスに入ってきて、仕事をしている机の上の何年もかけて構築してきたデータを壊して、食べた後のゴミを置いて去っていくようなことと同じかもしれません。

 

東日本大震災でも、放射線によって田畑を汚されたおじいさんが自殺してしまったことがありました。

その話がすごく胸に残っているのは、蜂も自分の庭を耕して大小石ころを掘り出し、土壌を改良し、土の歴史をすべて知っていれば、その土地には自分の汗と時間と自分自身の歴史とが結びついているということを肌感覚で感じるからです。

ましてそうした日々の作業を何十年もされてきた農家の方にとって、田畑が汚されて使えなくなってしまったら、それは自分を殺されたも同じだと感じても無理はない気がします。

 

 

パンデミックがもたらした地球環境の変化

沖縄の海に土砂が投入されるのと対照的なところにあるのが、パンデミックで人の移動が極端に減少したことで、オーストラリアの海にイルカが戻ってきたことです。

またWIREDによると、パンデミックの影響で二酸化炭素の排出量が最大で17%減少したとのことです。

人間は他の生き物に対して、地球上で幅を利かせていたんだなと思ってしまいます。

やりたいことをやりたいだけやれば、それ相応の空間とエネルギーを占有することになるということでしょう。

 

 

観光の醍醐味

ところで、話は少し逆説的に飛びますが、旅行に行く目的にはどんなものがありますか?

蜂が最近気づくと思い浮かべているのが、鹿児島に行ったときのもわっとした空気(と開聞岳の雄大な光景)です。

同じ日に涼しい空気の中を出発して、到着したら夏のような空気に包まれたのですから、同じ日本でもここまで違うのかととてもびっくりしたのを覚えています。

当時、大河ドラマ「西郷どん」を見ていましたので、このもわっとした空気はこの先の奄美大島や沖縄にも続いているはずで、この空気がこの先へと誘っているようで、港を探して奄美大島や沖縄へ行きたくなっていました。

また明治維新のことを考えても、鹿児島のもわっとした空気と、きーんと冷えた山口の空気と、温暖な高知の空気と、違う風土の中では育まれた人達が出会って歴史が進んでいったんだな、と歴史の種の一部が肌感覚として腹に落ちた気がしました。
(そして蜂がまだ行ったことのない、福島の空気はどんな感じだろうと想像します。)

その土地で育まれた文化ももちろん楽しみなのですが、今はあらかじめ知ることもでき、
ときにあらかじめ見た情報のほうが背景がよくわかるということもあります。

しかし空気だけはその土地に行かないと、肌で触れることのできないものです。(あと出会う人もありますね!)

 

土地によって水の違いもあるようです。

パンデミック下で偶然知ったのですが、日本の緑茶の味は日本の水があってこその味なのだそうです。

海外の水では緑茶の味がまた変わるのだとか。

その話を聞いて、ロンドンでホストマザーに湯豆腐を作ったときのことを思い出しました。

昆布だけは日本から持って行き、現地のスーパーで豆腐やしいたけを買って湯豆腐を作ったら、ホストマザーはあまりおいしそうではありませんでした。

その後蜂も食べてみたらいつもの味と違う気がして、豆腐は固く、じゃりっとしていて、いつものふんわりと甘くて、ぷるんとする感触はなかったのです。

豆腐は日本のものを買ったけれど作り方が悪かったのか、イギリスの人には豆腐になじみがなかったからなのか、と当時はそのくらいにしか考えていませんでしたが、もしかすると水質が違ったからかなと思い始めています。(確かに髪はきしきしした気がします。)

 

空気に水、それはどちらも地球から受け取っているもので、日本の土地に漂う空気と流れる水は日本固有のもののようです。

こうして考えていくと、大切にすべき日本の資源は何か、だんだんと本質が見えてくるような気がしています。

 

 

”俺は地球だ!俺に触るな!”

さらにちょっと見方を変えて、夢物語と思って読んでいただけたらと思う出来事があります。

パンデミック下で蜂がテレビっ子になっていたとき、警察24時といったような番組を見ていました。

夜の街で起こる事件に向かう警官に密着するドキュメンタリーです。

その中で印象に残っているシーンがあります。

危険薬物を摂取した男性が、「俺は地球だ!俺に触るな!」と繰り返し叫んでいたのです。

普通にその場面を見たら、”うわ怖いな”と思うのですが、お風呂に入っているときにふと、叫ぶ内容はいろいろあるだろうにどうしてあの内容だったんだろう?と思っていました。

依存の対象となるものは、時に抑圧されたものを浮かび上がらせるという視点が心の科学にはあるのですが、
もしそれに照らし合わせて考えると、あれは何だったのだろう、あの男性の叫びだったのか、あの男性を通じて出てきた地球の叫びだったのだろうか、とふと思ったことがあります。

 

 

その土地から沸き上がるものは何か

数年後にパンデミックが落ち着けば、日本を観光立国にしようという流れがまた始まるでしょう。

そのときに大切にしたい視点が、その土地から沸き上がるものが何か、というものがあるように思います。

その土地特有の空気は、旅人にとって忘れられません。

似た空気をふと感じた時、瞬間的に旅の記憶が蘇ります。

大地から湧き上がる水(や植物の光景)も、旅の記憶を作り出します。

それらを汚さないで、きれいに保つこと。手入れをすること。

これは私たちがパンデミックを経験して実感しつつある本質的な価値であり、
目立たないけれど感覚に訴えかける、観光を楽しんでもらうためのベースでもあると思います。

そうしたことを考えた時、沖縄にはやはり、澄み渡った青の海があります。

基地移設先は地盤が軟弱なことも分かってきた今、
本当にこれでいいのか、この海をつぶしていいのか、立ち止まざるを得ない何かが起きないかなと願ってしまいます。

 

その土地から沸き上がるものが特定できれば、少ないエネルギーで持続可能なものが作れます。

世界が大きくうねっている今、辺野古基地移設の問題も含んで変容していく道が見いだせないか、そんなことを考えています。

 

ビーレエションシップを探検!