THE BOOM (1993) 島唄

 

歌詞 宮沢和史. (1993) 島唄. ソニー・ミュージック.

でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た

繰り返す悲しみは 島わたる波のよう

ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

でいごの花も散り さざ波が揺れるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花

ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
このままに夕凪を

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

 

 

 

 

沖縄戦で亡くなった方々への鎮魂歌

 

 

 

ビーレエションシップがこの歌をどのように受け取ったかを記してみようと思います。

 

Erythrina_variegata_flower

photo: nico23, 写真AC
デイゴの花:沖縄県の県花。マメ科の落葉高木植物で日本では沖縄が北限。
毎年満開にならず、満開の年は台風の当たり年になるという言い伝えがある。

でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た

 

でいごの花が咲くのは、初夏の3月から6月。

1945年3月26日、沖縄戦が始まり、1945年6月23日まで日本で唯一の本土戦が続いた。

 

でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た

 

月日が流れ、でいごの花が次々に開花する間にも、民間人を巻き込んだ地上戦は続いた。

 

繰り返す悲しみは 島わたる波のよう

 

「鉄の暴風」のように降ってくる襲撃は、寄せては返す波のように繰り返し続いた。

 

 

サトウキビ畑

photo: HiC, 写真AC
沖縄のサトウキビ畑。サトウキビを沖縄の方言でウージと言う。

ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら

 

サトウキビ畑で出会ったあなたと、防空壕だった洞窟で集団自決を遂げ、永遠のお別れをしました。

(沖縄では洞窟をガマと言い、鍾乳洞のこともあった。)

 

はまだ沖縄を訪れたことがなく、サトウキビ畑と沖縄戦のつながりが体感として理解できていません。

(それどころか歌の意味を知るまでは、この部分は出兵した男性への女性の思いを歌っているのかと思っていました。)

 

島唄について調べているうちに旅行計画のようになってきて、気になる場所を見つけたので記しておきます。

またサトウキビ畑の下には、沖縄戦下で蚊を媒体とするマラリアで亡くなった方々が今も眠っているという記述を目にして、胸に留めておこうと思っています。

 

 

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

 

島唄よ、風に乗って鳥とともに海を渡り、(ニライカナイへ?)沖縄戦で亡くなった人々に私の涙の祈りを届けて。

 

ニライカナイとは何かと思い調べてみると、沖縄県や鹿児島県の奄美地方に伝わる信仰で、海の彼方あるいは海の底にあるとされる、生命の源のような場所、生命の再生の場所として人々に捉えられているようだとわかり始めました。>Wikipedia「ニライカナイ」

こうした考え方は科学的であったり論理的ではないように思えるかもしれませんが、そうした場所を想像することで生命や死を前にしてうろたえる気持ちが慰められたり、自分の行いをふと振り返って襟を正したりすることがあるようにも思います。

 

 

でいごの花も散り さざ波が揺れるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花

 

3月から咲き誇ったデイゴの花が6月になって散ると、沖縄の地上戦は終わり、さざ波が寄せては引いている。

あのささやかな幸せだった日々の暮らしは、水に浮かぶ泡のようにはかないものとなり消え去った。

 

ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ

 

サトウキビ畑で一緒に歌ったお友達と、防空壕だった洞窟で集団自決を遂げ、永遠のお別れをしました。

 

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

 

島唄よ、風に乗って鳥とともに海を渡り、(ニライカナイへ?)沖縄戦で亡くなった人々に私の愛を込めた祈りを届けて。

 

 

evening calm in Okinawa

photo: hidepower, 写真AC
沖縄の夕凪:晩夏の夕暮に波や風がぴたりと止まった静かな海の様子

 

 

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
このままに夕凪を

 

海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に穏やかな静けさをもたらしてください。

 

右(デバイスによっては下)の動画では、この部分がアレンジされています。(再生位置を同じパートに合わせていますので、聞き比べてみてください。)

アレンジされた動画では音程がどんどん上がり、ボーカルの腕が上に向かって押し上げられていきます。

 

亡くなった人の悲痛な願いを全身で代弁しているかのようなパートです。

沖縄の大地に重く沈み込んでいる沖縄戦で亡くなった方々の(現代を生きる蜂の言葉では表現できない)思いを沸き上がらせ、歌という全身の祈りによって光の通り道を作り、安らかに空に浮かび上がることができるようにしているかのように見えます。

 

”人間の欲や’正義’の名の元に固定化した信条は、時に際限がなく広がる恐ろしいものだから、人間に願うことはできない。

連綿と続く沖縄の心が、海と宇宙と神と命といった生命の源に願うものは、仕返しをしたり張り合うことではなく、永遠に続く穏やかな静けさです。”

 

蜂がそうしたメッセージを感じたとき、「土地から沸き上がるもの」の中で気がついた「自分の庭である海にゴミを入れないでくれ」という悲しみが思い出され、沖縄戦の歴史の傷はまだ残っていて、静かな願いはまだ果たされていないんだなと感じます。

それと共に、仕返しを望まずに永遠に続く穏やかな静けさを願う、人間としての強さを感じます。

 

 

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

島唄よ 風に乗り 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

 

島唄よ、風に乗って鳥とともに海を渡り、(ニライカナイへ?)沖縄戦で亡くなった人々に私の涙の祈りを届けて。

島唄よ、風に乗って鳥とともに海を渡り、(ニライカナイへ?)沖縄戦で亡くなった人々に私の愛の祈りを届けて。

 

 

 

こうしたことがビーレエションシップが島唄を聞いて感じたことです。

最後にこのインタビュー記事を読んでいると、「一緒に歩むこと」が平和につながるのかなと思えてきます。

「琉球音階使うな」と批判も
 不安の理由は「島唄」がヒットした当時、沖縄の一部から受けた反発の記憶だった。県外の人間が三線と琉球音階を使ってくれるなという批判さえ聞こえてきた。「軽い気持ちと映ったのかもしれない。歌い続けて、沖縄と一緒に歩む姿を示すしかなかった」。以来20年あまり、ヨーロッパや南米など世界中のライブで披露し続け、十数カ国でカバーされるまでになった。宮沢さん、沖縄民謡保存に力 「島唄」への反発乗り越え(朝日新聞)

 

 

その他の参考資料

ビーレエションシップを探検!