フィードバック
「私たちの集合意識体の肺」という記事の中で、蜂は「どうか心を凍らせないでください」と書きました。
「『しないで』という言葉は、起きていることに本当に寄り添えているときには使わない言葉では?」というフィードバックをいただき、思いを巡らせていると、
あの言葉は多分、過去の自分に言い聞かせるように書いたんだろうな、と気づき始めています。
(かつて心の奥深いところに凍ったままの何かがあったとき、あらゆることが不確かな感覚に包まれていたことがあったのです。)
すでに誰かの心の中で凍っているものがあるときに、その言葉を伝えたところで、
なんの役にも立たないことは、よく考えれば明らかです。
同時に、直線的に物事を見る人に伝えようとするとき、あの言葉がどうしても必要だった、というのも、あの時の率直な気持ちです。
凍らせる
とはいえ、どうしたことか今、蜂は積極的に凍らせてみたい何かが、心の中にあるのを感じています。
(ようやく最近の記事を書き終えた後のたまらない眠さと疲れから抜け出し、心の中の水面が静まっています。)
蜂にはかつて、深いところの気持ちに凍っていたものがあったことを書きましたが、それは良くないことだったのでしょうか?
確かに、何が噛み合っていないのか簡単に見つからずにもがいて、つらい時期を過ごしましたが、
あの経験があったことで、自分にとって、何が無駄なもので削ぎ落とす必要があり、
何が本質的なもので、エネルギーを注いでいくものかわかった気がしています。
今、積極的な意味で、心の中の何を凍らせて、小さな結晶にしたいのかはっきりとはわかっていませんが、
どこから始めようか、という検討はつきます。
まず始めに、頭に浮かんでいることを集めてみることにしましょう。
オープンエアフォーラムの準備(この行は2021年11月27日に追加)
最近は多くの人がオンラインミーティングを使っていますが、それが多くなると、家が外になってしまうわけで、
蜂は実はちょっと一歩下がって、読み応えのある本の世界に行きたいような感覚が芽生えています。
寸劇
また、最近の私たちの記事は緊張度が高いものが続きましたが、裏では楽しい時間も過ごしています。
ある日、伊都がおもしろい聞き間違いをして、それを聞いた蜂は、あまりにおかしくて、
歩いている途中に力が抜けて、その場に座り込んで笑ったことがありました(いつかご紹介できればと思います)。
それがきっかけとなって、家の中で、劇場にいるように場面を設定し、想像力を働かせて、大人のごっこ遊びが始まりました。
伊都は大いに笑い、
蜂はそのおかげで、自分の本質を反映しているかのように感じて、ずっと大切にしている映画のひとつ、
「ネバーランド」を思い出したのです。
エコシステム
その後、パンデミックによって訪れる観光客が減ったためなのか、
オーストラリアのどこかの海に、イルカが戻ってきたというニュースを聞きました。
それを聞いた蜂は、早春に見つけた、堆肥箱の中のうれしい光景を思い出しました。
冬の間手つかずだった堆肥箱の中で、丸々と太ったミミズと、たくさんの小さな赤ちゃんミミズと、ミミズの透明な卵がいるのを見たのです。
(ミミズがいた堆肥を土に混ぜると、ほとんど何も手をかけなくても、つやつや活き活きとした植物が育ちます。)
学びのシステムの変容
さて、このような感じで頭に浮かんでいたことを集めていると、深いところで眠っていた感情が突然ぽこんっと飛び出してきます。
これが楽しい瞬間です。
蜂は自分の未来の子どものためにも、学ぶプロセスの変容をずっと夢見てきていて、手を動かし続けてきました。
オランダやスウェーデンやフィンランドの教育システムは、底上げを徹底的にはかり、
出来る人は自分のプロジェクトを進めたり、友達に教えたりするシステムが取り入れられていて、
そうした学習の流れが、蜂はとても好きなのです。
大人にとってもいい考えだと思うので、
あとはどれくらい実践したり、教えられる人がいるかが鍵になるだろうと思っています。
(現在の日本の状況のいくつかを見ていると、無意識のうちにこうしたことを繰り返し考えてしまいます。
しばらく眠っていた情熱は、緊急の課題のような気がしています。)
あなたにとって本質的なものとは?
今、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちに、スポットライトが当たっています。
皆さんの仕事の、本質的な部分とは何でしょうか。
みなさんの人生の中で、本質的なものとは、どんなものですか?
少なくとも私たちの周りでは、余分なものを削ぎ落とした後に見えてくる「本質」が、キーワードになっていて、
同じ問いを自分たちに向けて問うています。
みなさんの周りでは、どんなことが起きていますか?