(この記事は追記が重なり読みにくくなっているため、同時期の追記を色分けしています。読みにくさは変わらずかとは思いますが、ご了承ください。)
エアロゾルによる感染の可能性
WHOのニュース
困難な状況では、現状に抗いたい時期はあるものです。
そういう時期にはできるだけ思いつく限りの対策を試したり、目一杯抗ったりすることが、その時期を一番早く通り抜ける方法だと思っています。
(対策を講じて効果や可能性を見ることができるし、突然困難な立場に立たされた人の思いもあることを、蜂自身もそうした経験があったため体で感じるからです。)
だけどCOVID-19が再び広がる中で、その時期はもうそろそろ充分なのではないでしょうか。
各国の医師の提言書を受け、WHOがようやく空中に漂うエアロゾルによる可能性を認めました。(WHO、空中浮遊する粒子からの感染、可能性排除されないと認める 新型ウイルス(BBC NEWS))
CDCのニュース
(2020.9.21 追記:
時系列が前後しますが、2020年9月21日現在は、第2波の感染者グラフの山をゆるやかに下っている状況です。
(感染拡大の勢いに対して、感染者数の減り方が遅いことがわかります。)
第2波がグラフ上に現れ始めた頃の2020年7月8日、上記のWHOのニュースが出ました。
(第2波の間、感染経路不明の感染者が首都圏を中心に半分近くいたのではないかと記憶しています。)
そして9月21日にアメリカ疾病予防管理センターから、同様のニュースが出ています。
ニュースの見出しには空気感染という言葉がありますが、正確には空気中に漂う微粒子(エアロゾル)による感染のことだそうです。
(このページのタイトルも正確を期すために「空気感染の可能性」から「空気中に漂うエアロゾルによる感染の可能性」に変更しています。ご了承ください。)
上記の発表があったとしても、理論上は、マスク、手洗い、うがい、距離をとるという方針には変わらないようで、これまで聞いた話からエアロゾルによる感染で怖いのは、空調による循環した空気を吸い込むことが含まれてくるのかなと思っています。
つまり換気が不十分だったり閉じた空間に空調があり、その空間に感染者がいたとしてマスクを外して食事をしたり会話をしたりすると、感染が拡大する可能性があるという意味だと受け止めています。
これは自分の対策だけではどうしようもできない域に入るから、個人的には外出は控えようという発想になる気がします。
おそらくこれから気の緩む時期に入ると思います。
自分を省みてもそうで、ずっと家にいる伊都に気分転換をしてほしいと思い、人出が増えて移動の波が起こる前に電話予約でお店のテイクアウトをさっと決行し、リストに溜まっていたお店での買い物を済ませてきました。
多分ここまでは問題ないと思います。
だけど自分の軸をきちんと思い返しておかないと、ひとつこれをしたから、次は気をつけながらだったらこれをしてもいいかな、と、ズルズルと緩くなっていきそうな気がして、自分に怖くなりました。
他にも、いつもの場所ではないところでの感染対策には神経を使って、一筆書きのような感染対策の流れにはならず、考えたくないほど対策のエラーが出ている気がして軽く思考が停止したため、引き続き最小限の外出に止めるにしても、感染対策の持ち物と流れの見直しに入っています。
思い出せば、医療従事者の方は、防護服の着脱に相当の時間がかかることを話しておられました。
ウィズコロナという言葉がちらほら聞かれるようになったり、メディアから外出の楽しさをピックアップするニュースが聞かれること、政府の決まり文句で「感染防止と経済は両立できる」という言葉が出てくることと、人の気の緩みは関連しているような気がしています。
(「感染防止と経済は両立できる」というのは、以前と同じ水準の経済活動を意味しているのだろうと思いますが、それは本当だろうか、と思っています。
自らに言い聞かせているのか、感染対策のヒューマンエラーを想像せずに感染対策の期待値の上限の効果を国民に求めて、推進したい政策に都合の良い状況を作ろうしている言葉ではないか、と考えてしまいます。
ふと最近思い出すのですが、前政権の厚生労働大臣がコロナでの病院受診の体温の基準を発表して、基準体温未満の患者だったあるお父さんが他者への迷惑を考えて受診を控え、亡くなってしまい、その後厚生労働大臣があの体温の基準は目安だったと発言し、それを聞いたご家族の涙ながらの怒りの手紙が読み上げられたことがありました。
全員とは言わないし、いつもだとは思いたくないけれど、政治家の言葉は軽いと再実感させられ、言葉にできないやりきれなさと怒りが残りました。
そうした土壇場で困ることは解決されたのでしょうか。
理想論であったとしても、正直者や周りの人のことを考える人が、バカを見たり損をするような国であってほしくないと思っています。
(だけど政治は権力闘争の世界で道徳は期待できないという話や、「これが政治だ」という言葉で物事が決まるといった話もテレビからちらっと聞こえたので、そもそも願う先が間違っているのかもな、とも思います。)
移動の禁止をする必要はないと思いますが、政府が人の移動の圧を高める方に軸足を置くのは、公平性だけでなく、世間の雰囲気に与える影響から考えても、やりすぎだし、時期が違うと変わらずに思っています。
そういう政策を立てながら、医療従事者に敬意を表したり、患者へのお見舞いを言っても、むなしく響いて聞こえてきます。
Go To トラベルに続き、Go To イート、さらにはGo To イベントまで出てきて頭がクラクラしましたが、矢継ぎ早にキャンペーンを打ち出すのが、以前と同じ水準に経済を戻そうとする理由からだったり、オリンピックを見据えての実績づくりだとしたら、市民の一人として個人的にはこれらの政策は当たり前とは思えません。
何が正解かわからないから対応の仕様がない、という嘆きが政府関係者から出てきたというニュースを随分前に聞きましたが、課題が与えられるのを無意識に待ったり、知識や理論だけで対策をはじき出したり、表面的に現場を見るのではなく、現場を深く細やかに理解して、現状を把握し、その上で課題を特定するのが政治家の仕事でしょう…!?、と驚いたことを思い出します。)
繰り返しになりますが、今の状況を見ているとおそらく楽観が社会に浮遊していて、気の緩む時期に入ると思います。
これから空気が乾燥していき、太陽の紫外線は弱まります。
重症化する人が以前より減っている傾向はいいことですが(←自分でこう書きましたが、本当でしょうか。第2波が緩やかに下降傾向になっている22日の重症者数は167人でした。ECMOは全国に何台あって、一台を使うのに必要な医療従事者は何名でしたっけ。そしてその医療従事者の後ろには、心配しているご家族がどのくらいいらっしゃるのでしょう。)、おそらくそれは表に出てくることのない、気をつけている一人一人の意識と行動が生み出している現象で、ほんの小さな裂け目によって沖縄の医療現場が火事のようになったことが、これから各地域で起こりうることを想像していても悪いことだとは思えません。
またちょっとした気の緩みのつもりでも、それが繋がりに繋がって大切な人に万が一のことがあれば、感染者数や重症者数としては数字で1と数えられたとしても、人生に与える影響は計り知れません。
もう一度気を引き締めて、本当に必要なことに焦点を当てて、個人の生活も社会も組み立てられる必要があるように思っています。)
密な環境でのクラスター
日本でも、推奨されていた対策をとっていたにも関わらず、劇場や保育園でクラスターが発生しました。
(追記 2020.07.15
劇場での対策に関しては空間に対して人が多めで距離が近かったり、小さな窓を数分開けただけの換気であったり、検温はしていたけれど体調が不安定な出演者がいたりと突き詰めた対策ではなかったようです。
対策の甘さはひと事ではないなぁとニュースを見ていて思いました。自分がどんな対策をしていて、予想外のどんな行動をしたか、周りの環境はどうだったかを、外出時に俯瞰して見続ける必要があると思うのですが、これは結構大変な作業ですよね。それでもそんなことは言っていられないのが今なんですよね。)
これらの現象から素人が考えただけでも、閉じた空間に症状のない感染者がいた場合、30分という比較的短い時間でも(追記 2020.07.15:完全な間違いでした。訂正してお詫びいたします。申し訳ありません。劇場に足を運んだ人へのインタビューを聞いていたら、30分経った頃に一度10分くらいの換気を行って、その後か合計かは忘れてしまいましたが、2時間ほど同じ空間にいたと話されていました)感染することが予想できます。
(もし厳密にそれを防ぐことを考えるなら、マスクの性能を変えないといけないことが予想できます。
布マスクや不織布マスクはしないよりはした方がいいとしても、それらはそもそも生地の目が荒く、ウイルスを含んだ空気が間を通り抜けることが予想できるためです。
この予想と共に調べてみると、次の二つの記事が見つかりました。
やはり、
ほぼ100%ウイルスの吸い込みを防げる「防じんマスク」を常備しておくことも考えるべきです。「N95」や「DS2」といった規格を満たしたものです。マスクと顔との隙間をなくして装着できるよう練習しておくことも重要です。コロナVSマスク、効果と限界 次に向けどう備えれば?(朝日新聞)
とあるように、このまま空気感染が証明されて蔓延すれば、やはり防塵マスクレベルになるようです。
だけどこれをつけて長時間移動すると呼吸が苦しくなると思います。)
Go To トラベルキャンペーン
こうしたことが起こっていたり予想できたとしても、予定を前倒ししてまでもGoToキャンペーンを実施して、人の移動を政府として後押しするのでしょうか。
観光経済新聞によると、GoToキャンペーンの共同提案体はJATA、全国旅行業協会(ANTA)、日本観光振興協会、JTB、KNT-CTホールディングス、日本旅行、東武トップツアーズの7者で、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会、日本旅館協会、日本ホテル協会、全日本シティホテル連盟、リクルートライフスタイル、楽天、ヤフーが協力団体として名を連ねているそうですが、これらは全て大手の団体ですよね。
一方で現場となる旅館やホテルなどでは、観光客に来て欲しい、だけど感染が心配という戸惑いの声も出てきていました。
判断を一つ誤れば、人災になる可能性もまだ含んでいる状況です。
今GoToキャンペーンによって人の移動を後押しすることは、今の状況の本質なのかと考えると、違うように思います。
じゃあどうしたらいいのか、と問われた時、こうしたらいいということをお答えすることはできません。
手掛かりにならない可能性が高いのですが、今、蜂の周りで繰り返し跳ね返ってきているものをお話しします。
萩の夏みかんと牧之原のお茶畑、この二つの共通点は、幕末の武士が明治という大きな時代の荒波を経て作り始めたものなんだそうです。
もう一つ、NHK大河ドラマ「西郷どん」の明治編では、明治の世を迎えた西郷隆盛と大久保利通の友情がすれ違っていくのですが(名演技でしたよね。。。)、
大久保は西欧諸国を視察して日本の現状と比べ焦っている一方で、西郷は会議で出される豪華な仕出しには手をつけず、相変わらずおにぎりを食べ、留守政府を守っているときには一つひとつ制度を作り上げていきました。
これらを思うと、これから日本の本質として残るけれど、まだ見ていない、作りあげられていないものがあるんじゃないか、そのためにはどっしりと構え、焦って頭で考えた理想図ではなく、骨が折れるけれども目の前の現状に本当に必要なことを形にしていくことで次第に見えてくるものがあるんじゃないか、という気がしてきます。
(歴史を見たり自分の体験を振り返ったりして、荒波の時期は決して容易く乗り越えることはできないことを感じていたとしても、です。(もしかすると、感じているからこそ、かもしれません))
蜂の好きな景色の一つに開聞岳がありますが、開聞岳もどっしりとしている感じがします。
これを見ていると、「大丈夫、大丈夫。答えは見つかる。そのためにも心を落ち着けて、焦らない、焦らない(一休さん風)」という開聞岳からの声が聞こえてきそうな気がしますが、皆さんはいかがでしょうか。
2020.07.20追記
GoToトラベルキャンペーンについて、感染者が増加している東京を出発と到着の対象地域から外したり、キャンセル料の補償を検討しているようですが、部分的な修正を行うからどんどん政策の本質から離れていき、さらなる対処が必要な状態を自ら作っているように思えます。
試してみてうまくいかないとわかり始めたなら、ずるずると修正パッチを出したりこの政策を推進して人の移動を分析しようとするよりも、スパッと止める方が痛みが少ないのではないかと思います。
(個人的にはこれまでと同じベクトルでの回復はあり得ないだろうと思っているので、感染が収束していない状況でのキャンペーンについては懐疑的な立場です)
GoToトラベルキャンペーンの背後には何があるの?
(2020.07.21 追記
「緊急事態宣言を解除してすぐに観光業界からの依頼があり、政府は対応を打ち出そうとしたのだろうと想像しますが」と前文にもともと書いていたのですが、雰囲気に不思議なものを感じてふと調べてみたら、そうではなかったようですね。
ANTA(全国旅行業協会)の会長が自民党の幹事長で、3月には支援策を検討していたんですね。
不思議に感じたことは、表に出て説明している大臣が政策決定の全てではないということだったのかもしれないと思っています。
新型コロナウイルスの影響によってキャンセルが相次ぐなど深刻な影響が出ている観光業について、自民党の調査会は経営支援策などを取りまとめ、政府に提言する考えを示しました。
自民党・二階俊博幹事長:「直ちに対応することが大事だ。政府に対して厳重にほとんど命令に近い形で要望したい」
自民党の観光立国調査会は旅行業、宿泊業などの代表者らと意見を交換しました。観光業界からは新型コロナウイルスが収束するまでの経営支援や収束した後も観光需要の回復に向けた後押しについて要望を受けました。調査会は運転資金の融資を無利子で行うことやキャンセルでかかる費用を国が補填するなどの対策を早急に取りまとめ、3日にも政府に提言する方針です。
観光業にもともと携わっていて、困っている状況に支援するという考えには理解できますし賛成ですが、多くの国民が反対する中で一つのやり方にこだわったことは信頼面と2週間後の感染者数にどう影響するだろうと考えています。
もしかすると一人の偉大なリーダーは機能しない例になるんじゃないだろうかとふと思ったりもします。
さらにふと思うのですが、COVID-19が発生してから、政治家を党のイメージで見るのではなく、個人として見えてきているのが不思議だなと感じています。
命に関わる状況と隣り合わせだから、感覚が研ぎ澄まされるというのもあるんでしょうかね。
ひとりの人を善か悪かの二択のカテゴリーに分けないというのが蜂が取り組んでいる課題ですので、だからどうこうというわけではなくて、物事を理解しようと思うと調べることや考えることが増えるなぁと思っています。)
(2020.7.30 追記
蜂は現場にいるわけではないので二次情報に頼らざるをえないことを肝に銘じた上で、このニュースが目に留まりました。
第1波のときに必死に尾身さんが感染症学に基づいた知見を伝えてくれていたのに、最近雰囲気が変わり、「旅行そのものが感染を広げるものではない」とざっくりしたことをおっしゃっていたので、どうしたのだろうと違和感を感じていました。
もしかすると背後にあったものはこうしたことなのかなと思っています。
7月29日、「Go To トラベル」事業の開始時期について、新型コロナ感染症対策分科会の会長を務める尾身茂氏は政府に対し、判断に時間をかけるよう事前に分科会として提言していたことを明らかにした。
GoTo開始、尾身氏が判断先送り提言 政府が退ける(朝日新聞デジタル)
記事を時系列で自分なりに読み解いてみます。
7月16日の数日前:分科会→政府
「(事業を)するしないに関わらず根拠を持った説明が必要。もう少し判断を延ばしたらどうか」「そう拙速に結論を出さないほうがいい。状況分析をして、しっかり議論をしたほうがいい」などと分科会として政府に伝えた。だが、その際には「残念ながら採用されなかった」という。
7月16日:政府
東京をキャンペーンの対象外と決定
7月29日:分科会会長尾身茂氏の話の報道
7月29日:西村康稔経済再生相の会見
20日ごろまで判断の時間をとるべきだという話を尾身氏から受けたと説明。ただ、政府は22日の事業開始を公表済みで、「20日に判断いただくとまさに直前。『様々な混乱が生じるのではないか。もう少し早い段階で判断していただけないか』」などと返して、尾身氏の考えを退けたと釈明した。
内情まで詳しくはわかりませんが、一般的に言うこととすることが違えば、することの方が本心を物語っているということは言えると思います。
特定の誰かというわけではなくて、混乱する状況では、自分が最後まで責任を持ってまでもこれが大切ということを掘り出していくことが本当に大事になってくると思います。
一人の人間の中での強いこだわりや遠慮、慌ただしさと眠れなさ、外部の影響として内部政治の影響は、言っていることを二転三転させ信頼を落とすだけでなく、本質を掘り出すときに判断を乱す要因になると思っています。
それぞれの立場にいるからこそアクセスできることを掛け合わせていけたらいいのに、と単純に思ってしまいますが、そもそも向いている方向が違うということなんでしょうね…。だけど医療にも命を守る産業にも経済はついて回ると思うのですが…。)
GoToトラベルキャンペーンの見直しが始まった頃は東京が感染者数が増加している地域でしたが、今となっては感染は全国に広がっています。
“ウィズコロナ時代の観光” を模索していた時期に多くの人が経済を再開するための更なる感染対策に取り組んだと思いますが、感染対策の効果は期待値の上限であり、人は思わぬ動きをすることを予測に含めなければならないことがわかってきたように思います。
(また個人的には“ウィズコロナ時代” という言葉を聞いたときには、頭が混乱するので聞き流すようにしています。
withと聞くと、体にピタッとくっついているイメージが湧いてきます。しかしウイルスはくっついては困り、避けなければならないものです。)
あととても懸念しているのが、東京を指定して対象地域から外したことです。
4月頃に医療関係者のお子さんは入学式に参加しないでほしいと学校関係者が依頼したというニュースがあり、後に学校関係者は謝罪したそうなのですが、特定の立場の人の参加を防いで多くの人の日常を進めようとすることが、普通のことにならなければいいなと思っています。
4月頃といえばみんなが大慌ての時期で、学校関係者が周囲への拡大を懸念し防ごうとした気持ちもわかるし、医療関係者が多くの人に必要とされている仕事をしているのにお子さんがそうしたことを言われた不公平さと心の痛みもわかる気がしました。
だけどやはり誰かを除外して進めるのではなく、判断と実行はより難しくなるとはわかっても、みんなで一歩下がる方法、あるいは全体を押し上げる方法はなかったのかなと思い、どうしたらいいのかを考えていました。
この場合、学校関係者と医療関係者の間に入って公的機関ができることは、もし医療関係者が家族への感染を防ぎたいという理由でホテルなどに宿泊することを希望すれば、スムーズに負担なく実現できる制度を充実させることが一つの方法だったのではないかと思います。(後に実際に市がそうした制度を作っています。)
安心のために境界線を引く手助けをすることは、とても公共性の高いものです。
けれどもGoToトラベルキャンペーンはこの流れとは逆に行っている気がします。
(2020.8.26 追記:
「“Go Toトラベル” 東京については来月判断へ」というニュースがありました。
前日には公明党から「Go Toトラベル、公明・山口代表“東京発着の追加検討を”」という意見があったというニュースもありました。
これを聞いたときに頭が混乱したのですが、どのような道をたどって考えたら、(感染者数が多いときは声を潜めて)感染者数のグラフが下降傾向に入ったからといってすぐに、「よし、そろそろ下降傾向になったから、東京の追加を検討しよう」という発想にたどりつくのでしょうか。
(また、どうして比較検討対象がお盆の帰省期間なのでしょうか。)
最近ふと頭によぎるのですが、ここに日本人特有の「そのときの(横に広がる)雰囲気」で物事を判断するような傾向は入っていないでしょうか。
「本質にとどまるためのオープンフォーラム」でも少し触れたように、観光業界に対して何かしない訳にはいかなかったという気持ちは分かります。(利権がらみという噂もありますが)
だけど歴史の観点から見れば、パンデミックは時代の転換点となって、様々な仕組みの転換も引き起こすほどのインパクトのある出来事です。
同じ行動を繰り返して乗り切れるとは思えません。
よりミクロな視点で見れば、いくら言葉で「対策に気をつけてください」と呼びかけても、すること(Go Toキャンペーンの継続的な打ち出し)をすれば開放的になる空気を作る結果に加担することになるのは、(必要だった緊急事態宣言の解除後の変化を含め)これまで2回繰り返した中で見えてきたことではないでしょうか。
そしてこうした流れの中、何が起こったでしょうか。
夏の観光に人気の沖縄で、医療現場が火事のようになりました。
遺伝子解析から沖縄では、米軍と同じタイプではなく、東京に多く見られるタイプのウイルスが広がっていたとのことです。
医療従事者が不足する沖縄に、全国からの協力の要請と調整を政府は行なったと聞きましたが、今は次にまた同じことが起こらないようにするにはどうするべきか、あるいは「何をしないか」を考える時期なのではないでしょうか。
地方でも少しずつ感染者が出続ける状況は、今も続いています。
ダイヤモンド・プリンセス号で起きたことが、緊急事態宣言下の日本で起きたように、沖縄で起きたことが地方で起きる可能性がある、という想像力を働かせていても悪くはないと思います。
また本当に困っている人こそ、声を上げられず、声が聞こえてこないことを想像する力も忘れない方がいいと思います。
人の移動の圧をさらに起こせば、医療従事者はいつ休み、いつ次の対策を考えればいいのでしょうか。
地方にじわりじわりと感染が広がれば、病院になんとなく行きづらくなる人がいます。
持病を持っている人は、外にますます出づらくなります。
治るはずの病気が、感染状況によっては治せなくなることもあります。
観光業界の人を考える気持ちは分かりますが、あまりに大雑把な方法と考慮されていないタイミングは、外を移動したり外で働かざるを得ない人や、そうした人に道を空けたいと思う人に対して不公平でやや乱暴な気がします。
一方で、あちこちで微細な変化の兆しが現れているのも感じています。
自分の言葉で話すこと。
「日本人は歴史とつながっていない人が多い」と本で読んだことがありますが、ところがどっこい、そんなことばかりではなく、なぜこのシステムになっているのかについて過去と歴史を知り、現在を見つめ、未来と次に必要な行動を考えられること、
そういうことを見聞きするするたびに、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と勇気をもらっています。
縦に深く深く、結びついていないところをつなげていくこと。
ちらほら感じるくらいの感覚なのでまだうまく言葉にできないですし、スローダウンしたり変化する痛みの可能性も頭から消えませんが、そこに観光業など人が移動しなければ成り立たない業界も含んで変化していくための何かキラッと光るものを感じています。)