6.5時間の停電

 

最大級の警戒を呼び掛けられていた台風10号が今週の月曜日(2020年9月7日)に過ぎ去り、
今は断水対策をしていた道具の乾燥後の片付けをしています。

幸い断水は起こらなかったのですが、月曜日の日中に6.5時間の停電の影響を受けていました。

(九州電力と中国電力のウェブサイトを見ると、11日現在でも
鹿児島県と山口県でまだ停電の地域があるようで、早く復旧されることを願っています。)

停電が日中だったことと、さほど暑くなかったことは幸いだったと思うのですが、
防災対策がザルだなぁと思い知らされたので、もっときちんと取り組むためにもこの時感じたことを書き出しておこうと思います。

 

行っていた停電対策

  • 懐中電灯の用意(予備の電池も準備)
  • ラジオの準備
  • 保冷剤を最大限冷凍

行っていた断水対策

  • お風呂に水を貯める
  • ポリタンクやバケツなど、家にある容器に水を貯める

行っていた暴風対策

  • 養生テープを貼る
  • 雨戸を閉める

(養生テープを貼った時、この光景は戦時中のものとばかり思っていたので、初めて見たなぁとしみじみ見入ってしまいました。)

共通の防災対策

  • 乾物の食料品を準備する
  • 飲み物を準備する
  • 避難リュックを出しておく

 

当たり前ではあるのですが停電が起きて強く感じたのは、
普段使っている電子機器(パソコン、テレビ、冷蔵庫、灯り)は全て箱と化すことでした。

“電気がないってこんな感じなんだ。”と感覚がごろっとひっくり返された気がしました。

 

小さな窓からの灯りを頼りに整理作業をしていましたが、
冷蔵庫の冷気を逃さないために開けないと決めていたため、食事は防災用の食料品で過ごしました。

するとちょっと作業しただけで、何か追加で食べたくなるんです。きっと栄養バランスが偏るんでしょうね。

だけど冷蔵庫を開けられない😱

この時、常温の防災用の食料品の量と品目を見直さないといけないと思いました。

被害がもっとひどくなればもっと体力がいるのに、今の状態では全く太刀打ちできないとショックを受けました。

 

だんだん体が省エネモードになっていき、停電してから時間が経つにつれ、冷蔵庫の中身が気になってきます。

 

冷凍庫は保冷剤をたくさん入れているけれど、どれくらい溶け始めているだろう…。

野菜室は少しくらいぬるくなっても大丈夫かもしれないけれど、
保冷剤が入っていない冷蔵庫はどうなっているだろう、捨てないといけないかもな…。

 

と、そればかりが気になるようになっていました。(それでも結果的には冷蔵庫に冷気が残っていて、何も捨てずにすみました。)

 

だんだん電気はいつつくのかなぁ、長丁場になるのかなぁと、大の字になってそればかりを考えるようになります。

暴風の音以外は無音状態になると、ラジオから聞こえてくる音楽がすごく心に染み入りました🥺

頭がぼーっとし始めると、都市部の電力が地方の発電所に頼っていることを実感させられた原発の問題のことを思い出したり、
今の停電よりももっとひどい被害の時にはボランティアの方がかけつける流れができているけれど、人の善意だけに頼る仕組みでいいのかなと思ったり、災害モードの思考になっていきます。

(追記: 2020年9月25日

このとき感じた、人の善意だけに頼る仕組みへの違和感はやはり間違っていなかったと思う話を今聞いています。

九州地方の豪雨による被災後の後片づけに人手が足りず、地域の有志が解雇状態にある人を有償ボランティアとして雇用する仕組みを作り出したり、災害救助犬による行方不明者の捜索を地元のNPOが担って、警察犬並みの活動をしているものの、災害救助犬や運営者の環境は整っていないし、公的な支援への申請をしても理解されなかったりする状況は確かにあるようです。

個人の能力を120%発揮して、今日明日の生活に困る人を助けていて、普通の声のトーンで「前例がないなら作ればいいよね」と話していて、そこにヒエラルキーは感じられないフラットな関係が築かれているように見えました。

これらの話の端々には、「被災者が被災者と被災地を助けていて、どうしてここに行政や国の仕組みや支援がないの?」といった疑問や、「この話に大臣が参加してほしいよね」という話や「構造そのものがおかしくない?」「この国はどうなっているの?」という話、「災害が過ぎて忘れてしまう前に、前例を作ったほうがいいよね」という話が出てきて、確かにそうだと思って聞いていました。

最近ふと、言わんとすることを国に正確に伝えようとして理解されるのを待つより、自分たちでやった方が早くて的確なんじゃないかなという思いが、根拠や目的もなくなぜか湧き上がることもあったのですが、彼らはもう一歩足を突っ込んでいるなと、心強く感じながら話を聞いていました。

人間が作ったシステムに疎外されていない人がいることを知れることは心強いことです。

またそうはいっても、こうした話をすでに的確に捉えている政治家もいるのではないでしょうか。>

 

こうした話を聞いているうちに、最近の総裁選挙を見ていて学んだ、「自助・共助・公助」というスローガンは自民党全体のもののようだということや、それにまつわる過去の党内の講演などを偶然目にすることもあって、そこに特異な雰囲気や考えがあるように感じたことをふと思い出し、やはりこの時期でも前面に出せるのはなにかズレているような感が否めないなぁという思いが蘇ってきます。)

 

 

風が少し弱まった頃に窓を少し開けていると、外から「停電の復旧に取り組んでいます」という電力会社の車からのアナウンスが聞こえてきたときには、すごくほっとしたことを覚えています。

こうした非常時には、やっぱり実際の人の力が頼りになることを感じていました。(体系だった?(備えられた)人の力の活かし方が気になります。)

電力会社の人が頑張って作業してくれているんだろうな、と想像しながらも、復旧まで長丁場になる前提で何をすべきかを省エネモードで考え始めます。

そうこうしているうちにパッと電気がついたときは、本当に、本当に嬉しかったです。

 

未だ防災道具の片付けの状態で改善点をまとめきれていませんが、6.5時間の停電は防災対策を見直すショック療法でした。

東日本大震災や阪神大震災を始め、地震や台風や浸水被害を経験している方々が、ご自身の辛い体験から現実に即した防災方法を教えてくださっているのだから、もっと知らなくてはいけないと思ったり、
電気というインフラがこんなにも生活を支えていることを実感すると、そればかりに頼らない方法を知るためにも、
サバイバル生活も知っておいた方がいいと聞いたことを思い出したりもしています。

 

 

 

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