もしも「(人流の抑制のために)どうしたらいいと思うか?」と尋ねられた場合、
「『人の行動抑制をしなければ』という危機感が伝わることを、今の状態では、もう期待しないほうがいい。
そこにエネルギーをかけるよりも、現在の状況の一番の問題を特定して、
それを不足なく抱える大きな器を作る方にエネルギーをかけたほうがいいのではないか」と答えると思います。
簡単にその理由を書きます。
一つ目は、世論調査の結果です。
「オリンピックをしてよかったと思うか」という質問に、60%越えの人が、「そう思う」と回答しました。
一方で、「オリンピックが感染を広げたと思うか」という質問にも、60%越えの人が、「そう思う」と回答しました。
これをどう読み解くかは人それぞれですが、
「20%くらいの人は、感染が広がったとしても、国際的なイベントを開催してよかった」と思っている、ということだろうと思っています。
目の前で、関心のあることや楽しいこと、気を紛らわしてくれることが起きて、それに乗っていく人たちを止めることはできません。
残念だけど、そこが盲点だったのだろうと思っています。
そして二つ目として、そうした人々の動きを見透かし、寄りかかってきたのが、今のある一定程度の数の政治家だったのでしょう。
個人的には、国内での度重なる言動の矛盾をものともせずに、国外からの信頼を得ようとし、国民から信頼を失った政治家に、
国内で、人の動きの抑制に関して何が出来るのか、わかりません。
オリンピックで、「(感染対策の)パラレルワールドができた」というのなら、
オリンピックの外にもパラレルワールドを作りましょう、それを外にも持って来れるはずです。
その要素は、すでに、かなり洗い出されているはずです。
さまざまなこだわりのあるステークホルダーが関係しているのではないか、と想像しますが、
ご自身のご家族が感染した場合、どうしますか?
どんな力を使ってでも、頭を下げてでも、必死に訴えてでも、診て欲しい、治療してほしい、と望みませんか?
そこに忠実になり、いらないこだわりを捨て、これまでの自分から一歩外に出たとき、社会に家の感覚が宿るのではないかと思っています。
そして、実際に看病したことのある人の意見を取り入れてください。
いつ急変するか、何が起こるのかを、肌感覚でわかる人の意見を取り入れてください。
病状の変化は、外から見ているだけでは分かりません。
それは、不足ない大きな器を作るために必要なことだと思っています。
ある男の子が、「オリンピック選手を見て、頑張っている人がいるんだなと思ったから、見れてよかった」と話していました。
患者の容体が自宅で急変し、望まない死を防ぐためにも、
(おこがましい言い方ですが)限られた医療従事者や周辺領域の方々の力をきちんと活かしきり、彼らが無気力に陥るのを防ぐためにも、
救急車での搬送困難事例を減らし、患者の移送に注力するためにも、
イギリスやアメリカのような野戦病院を作れないのでしょうか。
それは副次的な効果として、物事の混乱は現在進行形で起きていることを、背中で人に伝えることになるのではないか、と思っています。(もちろん望んだ結果ではないのですが…。)
もしかすると野戦病院というのは具体的すぎる提案かもしれませんが、そのような大きな器を作ることに注力することが、今、大事なことじゃないかな、と感じています。
(「一直線の集中」に続きます。)