ロシアとウクライナの停戦合意のニュース
2019年12月11日の朝、メールの整理をしようとブラウザを開くと、
ソーシャルメディアフォルダの中に、あれ?と思う言葉がありました。
「ロシアとウクライナが合意した」?
ということは…、もしかして(2014年3月始まった)ロシアクリミア紛争のこと…?
と、どきどきしながらメールを開けてみると、現れたのがこの内容でした。
やはりウクライナ東部紛争のことで、
ロシアとウクライナが2019年末までに、紛争を停戦することで合意に至ったニュースだったのです。
えー!と喜びながら調べてみると、主にCNN, NHK, BBCの記事が出てきました。
そのうちBBCの記事がこちらです。
2014年当時、ウクライナで勃発した危機(2014年2月27日ロシアのクリミア侵攻、2014年3月18日ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入などの一連の出来事)が連日報道されていて、
なんともやるせない気持ちになったことを覚えています。
どうして物が豊富にあるこの時代に、土地を巡って侵略する必要があるのか。
どうして一般市民は、突然聞こえ始めた銃撃戦から逃れるために、築き上げてきた暮らしを捨てなければならないだけでなく、
命の危機を感じるストレスに、絶えずさらされなければならないのか。
この衝突をきっかけに、ウクライナとロシアのそれぞれの背景に援護国がついて、
代理戦争として紛争が拡大することなどあってほしくないし、あってはならない。
この紛争の少し前に、日本と韓国の間でも領土問題が出てきていて(2012年8月10日李明博竹島上陸など)、
日本政府は、日本の防衛力を強化しなければならない、と主張し始め、
これが進んだら、本当に軍事的衝突が起きて戦争に繋がりかねないと、ヒヤヒヤしていたこと思い出します。
こういうとき女性の視点で思うのは、家族の命を守ることです。
自分の未来の子どもが、戦時下に生まれてくるようなことがあってはならないと、やけにリアルに想像して怖くなっていました。
ただし、戦時下に生まれてきた命があり、数えきれない命を奪い、奪われたのは、そう遠い昔のことではなく、
日本で言えばたった74年前のことです。
今回、2019年末までに、ウクライナ東部紛争が停戦の合意に至ったことはすなわち、
現地の人々の傷が癒えているということではないと思います。
しかし、ひとまず、これは本当にうれしいニュースです。
あの時の自分が聞いたら、とても希望の光を感じるニュースだろうと思います。
メディアの傾向
停戦合意の条件がまだ決定していないとは言え、喜ばしいウクライナ東部紛争の停戦合意のニュースは、
紛争勃発当時のように、情報に対して受け身でいてもすぐに伝わってきたでしょうか。
試しに、twitterでウクライナ東部紛争の停戦合意のニュースを知った日に、
そのニュースがテレビから流れてくるだろうか、と思って待っていると、
普段通りテレビを見ていた限りでは、ニュースが聞こえてくることはありませんでした。
そのため調べて探して、忘れないために、今まとめています。
余談であり、このニュースに惹きつけられている原点でもある話があります。
このニュースを知る前日の2019年12月9日に、
メディアとは何か、番組製作者の視点や発想はどんなものなんだろう、と(テレビ業界を知らない蜂には答えの出ない)疑問が出ていて、そのときにふと思い出した動画がありました。
それが下のウクライナ東部紛争に関する動画で、
紛争の解決の方法についての可能性と、メディアの役割について、ウクライナ人ジャーナリストのインタビューに、アメリカ人ファシリテーターが話しているものです。
ロシア語と英語での会話のため、通訳の女性が会話の仲介をしています。
ウクライナ東部紛争が起こった当時、蜂はこの動画を繰り返し見ていました。
インタビューの中で、マックス・シュバックさんが語った
「メディアは物事は困難なばかりといったり、衝撃的な出来事を多く放送する傾向がある。だけど希望を伝えることもできる」
と言っていたことがずっと心に残っていて、メディアとは何かを考えていた、2019年12月9日にふと思い出したのです。
そしてその翌日に、ウクライナ東部紛争の停戦合意のニュースを知ったことは、驚く出来事でした。
メディアとは何かを考えていたから、ウクライナ東部紛争を思い出したのか、
ウクライナ東部紛争を思い出すために、メディアについて考えていたのか、よくわからなくなるような感覚に、一瞬陥りました。
マックス・シュバックさんの考えを聞いて以来、蜂はその考えが自分の周りでも当てはまるかを何年も見てきました。
地方放送局のニュースでは心が温まるニュースが割と多く、
全国ニュースでは事件や事故、政治や経済指標のニュースが多く、ネガティブなニュースが多いように感じています。
そして繰り返しになりますが、紛争の勃発については頻繁に報じられても、停戦合意のニュースに時間が割かれないのはどうしてなのでしょう。
友達と喧嘩して仲直りした小学生の頃の帰り道、胸がうきうきしてスキップしたくなるほど大ニュースでした。
紛争があって傷ついたけれど、和解もできるし、それができるということは素晴らしいことなんだよ、と世界に伝えられたら、
国家間だけでなく、あらゆる人間関係にとってどれだけ希望になることかと考えてしまいます。
メディア側だけの要因でこうなっているのではなく、
受け手も、衝撃的なニュースに引き付けられやすい傾向があることも関係しているのかもしれません。
一方で、ウクライナ東部紛争の停戦合意を知らせたtwitterのように、マスメディアだけがメディアではない時代はやってきています。
これは、誰もがメディアになれることを意味していて、良い面では力の分散であり、人の心に響く思いを発信している人は、知名度に関わらずいることを意味しているのだと思います。
ネガティブな面では、好きなものだけを選択的に見られるために、視点の偏りと固定化が懸念されます。
マスメディアのニュースのネガティブさと、もたらされる希望の少なさ、ネットメディアによる視点の固定化と、自由度の高さの間をつなぐものは何か。
それは何なのか、どうしたら可能なのか、どこで可能なのかを考えていますが、これは別の機会に回すことにしようと思います。
表面を軽くすくった発信に触れると、言っていることは頭ではわかるけれど、心に響かないため、するっとこぼれ落ちてしまい、
自分の生きている中から出てくる、素直な思いを紡いでいる発信に触れると、心のど真ん中に響いて記憶に残り、力をもらい励まされることがあります。
そうしたことを発信できるように、またそうした発信をしている人に気づけるように、心を柔らかくほぐしておきたい。
流れてくる見えやすいもの、知名度や声の大きさや、パッケージに惑わされないために、心の感度を磨き、透明度を高めておきたい。
そして、ウクライナ東部紛争の停戦合意という喜ばしいニュースを知ることができ、マックス・シュバックさん考えが心に残っているのだったら、
少しでも当時の状況と、合意を成し得た人々に思いを馳せ、さらに学ぶ起点するためにも記録に残したいと思っています。