毛糸を編むことは、いつも三人の女性(伊都・平次・蜂)の近くにありました。
現在も三人で編み物会をしていて、伊都が指南役となり、平次や蜂に編み方や製図方法を教えています。
これまでにセーター、カーディガン、ベスト、手袋、帽子などを編んできました。
編み物の世界は奥深く、間違えたり、想像と出来上がりの印象が違ってほどくことがしばしばあります。
そして体を使わない作業に見えても、実は体を整えて鍛えておくことが大切です。
ずっと同じ姿勢をしていると体が硬くなりますし、根を詰めて指を動かし続けると、肩がこったり、腱鞘炎になったりすることがあるからです。
そうなる前に体をほぐしたり、適度に休みをとることが必要になってくるのです。
また、体に無理のない姿勢で座り続けるにも体幹が必要なので、体を日々動かして鍛えておくことも、実は大事なことなのです。
編み物って静かに座ってするものじゃないの?というイメージを覆す実際にもかかわらず、
編み物が続いているのはどうしてなのでしょう?
理由の一つは、三人にとって編み物は、生活の中に当たり前にあったからなのです。
そのことに気づいたのは、蜂が昔のビデオを整理していたときのことでした。
ビデオ映像の中に、現在三人の編み物会とまったく同じ光景を発見したのです。
それは伊都が50代、平次が20代、蜂が2歳のころ。
2歳の蜂は、ソファに座る平次の足元近くに座って、黄色い毛糸で遊んでいました。
その黄色い毛糸で、うら若き平次はセーターを編んでいました。
セーターを編む平次の隣に座っていた陽気な伊都は、平次に編み方を教えていたのです。
現在も編み物を二人に教える伊都。
伊都はどうして毛糸の編み方を教えることができるのでしょう?
それは遡ること、伊都が小学三年生、第二次世界大戦が始まる二年前のこと。
伊都は母である美都と、夜な夜な練炭火鉢を囲んで過ごしていました。
テレビはなく、美都は夕食後、伊都のためにセーターをよく編んでいました。
当時は既製品の服はほとんどなく、
毛糸だけを売る毛糸店があり、そこで毛糸を買って、家庭でセーターやカーディガンを編む時代です。
毛糸を編むことは家庭の衣を整える必須の技術でした。
そんな時代に、伊都は美都が編み物をする姿を見て育ったのです。
現在の伊都も、夕食後よく編み物をしています。
幼い伊都は美都がどうやってセーター編むのか、手の動きをよく見ていました。
そしていらない毛糸をもらっては、
ガーター編み、メリヤス編み、かのこ編みで10cm四方を編む模様の基礎練習や、
毛糸玉から出てきた一本の毛糸を指にかける方法など、毛糸の基礎を細かく美都に習いました。
伊都はやがて、10cm幅のマフラーを編むようになります。
このあたりから女の子の楽しみといいますか、伊都のものづくりの楽しみが膨らんでいくのです。
伊都にとって、宿題がない日に模様編みの基礎を練習することは、とても楽しいものでした。
近くに美都がいて、セーターが少しずつ編み上げていくのを見るのも、とてもわくわくするものでした。
一方で美都の編み物生活はどんな様子だったのでしょう?
美都は伊都が学校に行っている日中に、隣三軒ご近所の奥さんと集まっては、
一緒にラジオを聴いたり、雑誌「主婦之友」を開いて「こんな形のセーターも素敵ねえ」とおしゃべりをしたりしながら、
子どもたちの洋服を編んでいました。
頻繁ではなくとも編み物が好きな友達と集まって、
「どんなものができた?」と見せ合ったり、「こうしたらいいねえ」と話したりしながら編むのが、
一人で編むよりもずっと楽しかったのです。
この楽しみは時代を越えても不滅で、この楽しみのために、現在の伊都・平次・蜂の三人も編み物会で集まっています。
幼い伊都が学校から帰ってくると、
「よしこちゃんがかわいいセーターを着ていたから私にも作って」と美都にせがむことがありました。
美都はそれを実際に作り出してくれるのです。
こんな幼少期を過ごした伊都は大人になり、時は戦後を迎え、編み物の本も毛糸も自由に手に入る時代になっていきました。
やがて伊都は結婚し、子どもが生まれ、子どもにセーターを編むようになるときが来ます。
伊都は美都のもとで基礎を学んでいたので、
本を見ながら「自分だったらこんなのを作りたいなぁ」と思い描くことができ、
想像したものを試行錯誤しながら作るようになりました。
時には自分のセーターをほどいで、
赤ん坊だった平次やその兄弟のための服に編み変えたりもしました。
毛糸は編み変えることができ、毛糸は次の作品、次の人へ受け継がれていきます。
同じように編み物をする習慣や環境も、
美都から幼き伊都、現在の三人へと受け継がれてきたのです。
戦前とは違って、テレビ番組やインターネットなどのデジタルコンテンツや、
本といった豊富な娯楽がたくさんある現代でも、
編み物が続いているもう一つの理由は何でしょう?
それは編み物をしている人の周りにできる、妙に落ち着く雰囲気が好きだから。
編み物をご自身でなさる方や、周りにしている人がいる方にお尋ねしたいのですが、
編み物をしていると周りの人が落ち着いたり、
編み物をする人の近くにいると自分が落ち着いたりする経験がある方はいらっしゃいませんか?
編み物を黙々としている伊都のそばにいると、蜂は妙に落ち着く体験を何度もしています。
まるでざわついていた心の水面がすーっと鎮まるかのように。
テレビの音が鳴っていても、特に伊都と言葉を交わさなくても。
この感覚は何なのだろうと蜂はずっと不思議に思っていました。
あるいは、蜂は自身が編み物をしているとき、こんなこともありました。
テレビの音が鳴っていても、言葉を交わしていなくても、
蜂の兄弟が部屋を見渡して、「こういうのいいねぇ」と一言、満たされたような顔で言ったのです。
このとき蜂は、
”あぁやっぱり…。毛糸を編む人の周りには、人を落ち着かせる雰囲気ができるんだ…”
と感じました。
こうしたとき、一体何が起こっているのでしょう?
不思議がピークに達した蜂が、伊都に「何が起きていると思う?」と尋ねると、伊都は間を置かず、静かにこう言いました。
「本当の家族の雰囲気っていうんかねぇ。温かみというんかねぇ、ざわざわしていない。そんなのかもわからないねぇ。」と。
ざわざわしていない、家族の”本当の”温かみ。
”本当の”家族の雰囲気。
(本当の家族には人それぞれのイメージや感覚があると思います。
そのためここでは、「私たちが感じている」という意味を込めて、かっこつきの”本当の”としています。)
このとき蜂は思いました。
やっぱり…。
私たち三人が長い間、繰り返し問いかけられていて、薄々感じていたけれど、はっきり気づいていなかったこと…。
それは女性性の強さというテーマなんだ…。
それをもっと深く理解して、意識的に生み出せるようになることなんだ。
ビデオが撮影された昔も、現在も、ずっとそのテーマは近くにあって、
もしかすると、気づかれるのをずっと待っていたのかもしれない…。
蜂は心の中で、何かが結晶化されていくのを感じていました。
それはビーレエションシップが始まる少し前のことでした。
糸紡ぎや機織り、刺繍に編み物は、古来からどの大陸やどの国でも女性の仕事でした。
河合隼雄は、フォン・フランツの著書を引用して「糸つむぎは古来から女性の仕事のなかの重要なもののひとつとして、女性性を象徴するほどの重みをもったものである」とも述べています。
男性が狩りに行く間、子どもを育てながら女性同士が集まって糸仕事をしてきたのです。
それは生活をよくするために事を成すという、アニムス(女性の中の男性の原形)によって鍛えられた女性の姿でした。
「かわいくてふわふわした毛糸のイメージを、自分に重ねたくて編み物をする」といった、
見栄えを求めて自分を中心にした動機で始めるものとは、性格を異にするものです。
太古から連綿と続く女性の糸仕事の営みの結晶は、教えられずとも人の感覚の中に宿っている気もします。
蜂はこうしたことをたどるうちに、編み物をする人の周りにできる不思議な静けさと編み物が象徴するものについて、こう考えるようになりました。
ふわふわした温かそうな毛糸玉から糸が一本出てきて、黙々と女性の手が動き、糸が編み目になり、編地が出来てくる。
編み手は、しばらく編んでは腕を伸ばして、編地全体を見つめ、どのくらいできたかを確かめる。
そばにいる家族はその光景を見て、
家族のために編んでくれているという、ぽっと灯のともるような温かさが静かに心に流れ込んでいく。
昔ながらの家庭の光景。
そうした時があるのも、限られた生活の中の資源から、編み物を始める手立てと、編む時間と、編むエネルギーを用意したからこそ。
「今」という時間が、リズムを刻んで編み目に変わっていく、静かな変容の時間。
そうした時とリズムの刻みを、編み物をする側にいる人も感じ取り、ざわついていた心がすーっと整っていく。
家族の温かい雰囲気に包まれた、静かで深い変容の時間になっているのかもしれません。
編み物は美都から幼き伊都、そして現在の三人の女性に脈々と流れて、生活の一部となっている身近な活動です。
その活動が示していたテーマは、暮らしを育もうとする強い女性性と、それによってもたらされる静かな家族の温かみでしょう。
そうしたものが自分たちの生活からも、それを望む人の心からも消えてほしくない。
こうした経緯で、三人はビーレエションシップのテーマにたどり着いたのです。
引用参考文献:河合隼雄(1994)「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」講談社+α文庫