水出し緑茶が好きで朝によく飲むのですが、それも冬になると手が伸びなくなります。
減り方がだんだん遅くなり、これはどうしたものかと冷蔵庫の前に立ってしばらく考えていました。
水出し緑茶の甘さは好きなのだから、いつもより長く温めて飲んでみようといういたってシンプルな考えにたどり着き、
いつものマグカップにいつもの量を入れて、いつもより温かくなるように適当に温めてみたのです。
すると、その味は蜂にとって普通の結果ではありませんでした。
温度の変化が呼び覚ました記憶
水出し緑茶は、お湯を注いで抽出するお茶よりも甘くなります。
それを温めてみると、もっと甘く感じただけでなく、その甘味は遠い昔に飲んだことがあるような気がしました。
熱すぎず冷たすぎずほんのり温かいライムグリーン色のお茶を飲んでいるうちに、
気が付けばマグカップを両手で持って無心になり、30代の蜂ではなく、2歳か3歳の蜂になっていたのです。
これ、一体どこで飲んだのだろう?
それはおそらく列車の中だと思います。
昭和の時代の列車の旅では、お弁当とお茶が旅のお供でした。
今よりも厚手のプラスチックのボトルに、熱すぎず冷たすぎずにほどよく温かいお茶が入っていて、
ボトルの蓋をコップにしてお茶を飲んでいました。
2歳か3歳の蜂も、家族で電車に乗っていたのでしょう。
両手でカップを抱えて、温かくて甘い緑茶を無心に一気に飲んでいました。
お茶を飲み干した後、当時自分の顔を隠すくらい大きく感じたそのカップを祖父に渡そうとすると、
祖父は「もっと飲むか?」と笑ってこちらを見ているのが見えたのです。
えぇ…? こんなことってあるの….?
バラバラだったお茶や味に関する記憶がつながり始めた気がしました。
小さいころからケーキよりも和菓子や梅干しや茶わん蒸しが好きだったこと。
小学生の時に商店街のお茶のお店の前を通ったときに漂ってくる、蒸したお茶の香りがたまらなく好きだったこと。
ソフトクリームを選ぶときには、甘さの中に苦みもある抹茶ソフトクリームを好んで選んでいたこと。
大人になった今でもお茶は入れるけれど、カフェインが多い熱いお茶は一度にたくさん飲めないし、冷たい水出し茶も体を冷やしすぎないように気を付けていて、
それでもどこかに、ぴったりくるお茶の味があるような気がしていたこと。
光の矢の中にそんな光景が詰まっていて、30代の蜂の頭の中を突然それが駆け抜けたのです。
びっくりしました、水出し緑茶の温度を変えるだけで、覚えていないはずの記憶が出てくるなんて。
ライムグリーン色のお茶は忘れていた記憶への扉のようになっていて、不意にその中に飛び込んだような不思議な感覚でした。
この話にはきっといくつかの大事な要素が隠れているだろうと思います。
そのうちの一つが、このこぼれ話の中にあるかもしれません。
せっかくの思い出の味を、魚の名前の漢字がたくさんプリントされた祖父の大きめの湯呑で飲みたくなって、
お茶の道具の整理で持ち帰った箱の中を探したのですが見つからず、平次や伊都に連絡をして尋ねていました。
蜂は自分から何かを起こすことにためらいがちです。自分が押しつけがましくなっていないか、人の邪魔をしていないか、気になるのです。
でもこの時は、あの湯呑がないことが不安になって、眠る前に間に合うかなというタイミングで二人に連絡をしました。
そして魚の名前の漢字がたくさん印字された祖父の大きい湯呑は、伊都が今も持っていることがわかり、ほっとしたのです。
そして後日、興味深いことを知りました。
夜寝る前ぎりぎりに連絡したことを蜂が謝っていると、あの湯呑の話を聞いたおかげで、痛み止めを飲まなくても大丈夫だったということが受話器の向こうで起こっていたことを知ったのです。
体の中で何が起こっていたのか科学的に見れば、ホルモンの分泌か何らかの理由がきっとあることでしょう。
それに加えて蜂がふと感じたのは、突然思い出したことを自分の中に押しとどめられなかったことが、結果的にタイミングをつかみ、
家族の歴史の扉を開け、薬の代わりになったのかもしれないということでした。
さて、ようやく懐かしい緑茶の味の引き出し方が見つかったようです。
(とても大雑把な方法で温めたため、またカップが変わって温度が違えば、あのとき開いた記憶への扉は開かなくなっていました。
また、もっとおいしくなる温め方もあるのかもしれません。)
水出し緑茶なので甘く、カフェインが少ないため、無心になって何杯でも飲めそうです。
幼いころのように一気に飲めるような、そしてもう一杯!と言いたくなるような、何層にも甘さが重なったやさしい味わいです。
みなさんが覚えている一番古い懐かしい味の記憶はどんなものですか?