※この記事は2006年6月6日に書かれたもので、「蜂の夢 -関係性が人とコミュニティと世界を癒す-」の記事のためにこちらに公開されました。
記事を書いた当時はブログというものが世に出てきたばかりの頃で、蜂もまだ20代と若いときでした。
今読み返すと、顔からバフンと湯気が出てきそうなくらい恥ずかしいノリと文体ですが、
何時間も推敲して頑張った当時の自分を受け入れて残すべく、編集はわかりにくい箇所とプライバシー保護の最低限にしてあります。
読みづらい箇所もあるとは思いますが、どうかご容赦ください。
アートと聞くとどんなことをイメージしますか?
美術館,絵を描くこと,ダンス,陶芸,染物,自分を表現すること,私がぱっと思いつくのはこういった感じかな。
しかし,このアートということの奥底にはもっと深いものがあるような気がしてならなかった今日この頃。
ついに漠然と思い描いていたものが少しずつはっきりと形をもつような文章に出会いました。
出典は「がんばれ仏教! お寺ルネサンスの時代」 上田紀行 著
本題に入る前に,私がこの本と出会ったいきさつについて書きたいと思います。
上田紀行さんが5月末のトランスパーソナル学会のゲストとして講演をされたことで,私はこの方を初めて知りました。
シリアスになるところはぱりっとした空気に変え,もののとらえ方もすごく勉強させてもらってきました。
しかしその一方で、どこかの大学の人気教授に選ばれたほど話がたいそうおもしろく,私もこんな語りができたらいいなぁと頭の片隅でずっと思っていたほどです。
別の記事でも上田さんのことを書いたくらい,私の記憶に強く残りました。
その上田さんの講演の中で強く印象に残ったものの一つが,次のような話でした。
あるとき上田さんが本の執筆のスランプに陥ったとき,あるお坊さんとの出会いによって号泣し,自分が本を出す意味を見つけられたそうです。
自分の本が世の中に必要とされるかより,自分はこの人を紹介するために本を書こうと決心した本が,さっきの「がんばれ仏教!」だったそうです。
こう紹介されてはねぇ,どんな人と出会ったのか読みたくなるよねぇ。
ということで,流れにのって購入~! (あ~~れ~~
やはりあの講演をされた方!
仕事の行き帰りに少しずつ読んでいるんだけど,難しくなくすいすい,しかも感動して涙が出そうになる内容でした。
今回の記事の蛇足になるけれども,葬式のありかたを考えようとか,この本はまちづくりを考えたときにお手本になるなぁと思ったし,心が奮い立つような思いになれたことが,途中までを読んでの感想です。
さて今日の本題。アートって?というお話です。
まず私が感動した部分を本から引用させていただきます。
本の中で紹介されている大阪にある慶典院のチラシより。
(予備知識として,それまでの章では「寺は,『学び・楽しみ・癒し』の場であり,人間の生活の質,生き方の質を支え,変革して行く『社会的芸術』の場でもあるのではないか」ということを書いていました。)
「“アーツなお仕事”は生活の中にあふれている
“アーツなお仕事”というと,芸術家になること,劇場やギャラリーで働くこと,そんな華やかなイメージを抱きがち。
しかし,芸術はもっと幅広く普遍的な文化であり,“アーツなお仕事”も日常生活に根付いたさまざまな職業の中にあるはず…。
例えば福祉の世界でも,芸術的能力を発揮する人材の活躍が注目されています。(中略)
彼/彼女らは,人間の生活の質,行き方の質を支える大切な要素として,芸術を仕事に取り入れています。
つまり,日常生活の場面すべてがアートの現場であり,仕事をアート化していることがポイントです。
“アーツなお仕事”は持続可能なビジネスモデルとなる
“アート(Art)”の原意は『創意,技』。『困難な課題を巧みに解決し得る熟練した技術』という意味もあります。
活躍の舞台はあなたの身近なまち。
人々の日常にかかわる仕事を通じて,地域のさまざまな場,人と人との関係を『芸術化』してほしいのです。
そして,小さくてもいい,地域の人々の生活の生き方の質を高めていける『持続可能なビジネスモデル』を探し出すことが,“アーツなお仕事”のもう一つの目標なのです。」
チラシを受けての上田さんの文章より。
「アーティストとは,日常生活に埋没している私たちの目には見えなくなっている『光』や『影』を見ることのできる人たちである。
その表現によって,私たちを目覚めさせ,生きることの新しい意味に気づかせてくれる。
生きる力に気づかせてくれる。
そんな『社会的芸術家』としての寺が,僧侶が,今求められているのではないか。」
読んでみていかがでしたか??
私はこの文章を読んで,これから自分がありたいことの集約であるような気がしました。
まず,「人間の生活の質,行き方の質を支える大切な要素として,芸術を仕事に取り入れ」ること。
バスの中でこの本を読んでいたものだから,まず仕事先についたらよりいっそうの「芸術家」になろう!と思いました。
私たちの仕事の内容としては,子どもたちを預かって安全に返す,それにつきます。
だから下手すれば,何事もなく1日がすぎればいい,という考えにも行きつきます。
しかし「安全に」ということを考えたとき,私は無機的な関わりの中では「安全」は生まれないのではないかと考えてきました。
「危ないからやめようね」と大人が声をかけて子どもに伝わるのは,本当にその子のことを思っていることが伝わるから。
裏を返せば,「危ないからやめなさい!」と大人の感情の押し付けや,いわゆる八つ当たりでは絶対に子どもには伝わらない。
ひとりひとりが安心して過ごせるのは,日々の小さないさかいと誤解の芽をつみとるから。
それには子どもひとりひとりの様子を毎日少しずつ見て,大人である私も自分のいろんな感情に気づきながら子どもと接することが大事だと思っています。
じゃあそれを形にするにはなにか!
◎物事の裏と表を意識する そして ◎腰をかがめて目線を落として話す
頭の中で勾玉がふたつくっついたやつを思い描いていて,いやなことがあったらその反対の意味を埋める。
あと子どもの目線まで落とせば,おもしろいことに同じ部屋でも違う世界が見えるんですな。
しかしできるときとできないときがある。
そこには何が隠れているのか。
それが「芸術家」としての心なんですよ!と私は言いたいわけです。
これまでは「大人側の余裕」と表現してきたけれど,今の私の心意気は,今・ここで,
「日常生活に埋没している私たちの目には見えなくなっている『光』や『影』を見」ながら,
この仕事先の空間に一緒に生活している子どもも大人も,また明日を楽しみにできる空間と時間を作り出したいから,
『芸術家』を目指します!」
と言ってももはや過言ではないでしょう!
そしていつかは,「小さくてもいい,地域の人々の生活の生き方の質を高めていける『持続可能なビジネスモデル』を探し出」したいと思う。
今はこうやって日々を修行しながら,いつかは
「活躍の舞台はあなたの身近なまち。
人々の日常にかかわる仕事を通じて,地域のさまざまな場,人と人との関係を『芸術化』してほしいのです。」
を自分が実現してみたい。
大きな大きな理想の中に,私が人々の生活の質の向上を目指してセラピーができるようになったときに,
できることなら「カウンセリングルーム」というよりは,
まちの「学び・楽しみ・癒し」の場,人間の生活の質,生き方の質を支え,変革して行く
「社会的芸術」の場で活動したいと思う。
もしかしたらセラピストとは名乗らずに,もっとあいまいな立場になるのかもしれない。
「あそこに行けばなんかおもしろい人がいるらしい」となれたら。
そこまでは難しくても,「何かおもしろい場所」に参加できたら。
その「おもしろい人」が子育てから生きる意味の模索まで,
時には個人個人でゆっくり,またときにはグループでわいわいと,
人の生活の質に気づくきっかけや変革のきっかけを投げられる人となり,
それが可能な場所にいたい,もしくはつくりたいなぁ。
それが地元でできたらまた楽しいんだろうなぁ。
人情味あるわくわくするような教育に,
行く末を安心できる環境が整ったホスピス医療,
質の高い休息場もあれば忙しい人もゆとりある質の高い生活を送れるだろうしなぁ。
おそらく<持続可能な>というのはこれからの時代のキーワードですよね。
LOHASにも「健康的で持続可能なライフスタイル」ということで,<持続可能な>が入っているからね。
<持続可能な>ビジネスモデルには,これまたおそらく,「誰とも変わることのできない私」が必要だと思ってる。
まず私はそこの部分からが必要だわ(笑)
ということで,アートにまつわる感動した文章を引用して,私の思うことをつらつら書いてきましたが,
みなさんにとってのアートとはなんでしょうか?
そもそもアートになんて興味がないよという人にも,油絵に彫刻などの形は芸術の入り口で,
その奥に広がる生活の中の「粋な心遣い」や「人間関係」も広義の意味でのアートになるんじゃないの?ということを提案してみました。
まさに(おそらく)その意味でも,文章中のアートは「アーツ」となっていたし,
それにならい今日のタイトルも「アーツ」としてみました,なんてうんちくをたれながら御開きおひらき~!