家庭料理が長期間外部委託されることへの危機感

Ⅰ. プロフェッショナル仕事の流儀で「家政婦 タサン志麻 家族のために、母のように」を見た

5月21日に放送された、プロフェッショナル仕事の流儀「家政婦 タサン志麻 家族のために、母のように」はご覧になりましたか?

家の仕事を大切に考えているBeelationshipとしては、わくわくしてテレビの前に座りました。

「家族のために、母のように」という番組のサブタイトルにも、惹かれるものがありました。

タサン志麻さんが仕事をするうえで大切にしていらっしゃる信念なのですね。

番組を見ていて、タサン志麻さんの料理はとてもおいしそうで、
本も出版していらっしゃるとのことで、 さっそく読んでみようと思っているところです。

ところで今パソコンに向かっているのは、
タサン志麻さんの料理について感想を書きたいと思っているのではありません。

そうした内容を期待されて訪れていただいた方には、期待外れになると思います。

番組を見ていて、Beelationshipのメンバーの蜂の注意がひきつけられたのは、
タサン志麻さんが訪れるご家庭でどんなことが起こっているのかでした。

番組を見ているうちに、言葉にするまでに時間がかかるような、何かもやっとする気持ちが出てきたので、
その正体を探ってみたいと思っているのです。

もしこうした内容に抵抗がなければ、どうぞ読み進めていただけたらと思います。

Ⅱ. 料理を専門に助ける人が訪れたのは、どんな場だった?

ここからの文章では、特定の人や場所を語るのではなく、
「料理を専門に助ける人という役割」(例えば、番組に登場したプロフェッショナルのタサン志麻さん)や、
「家族構成や仕事と育児と介護のバランスなどの複数の要因がからむ場」(例えば、タサン志麻さんに依頼したご家庭)として捉えていきます。

こうして捉えることで、ある人がまとっている雰囲気や役割が、自分の中にもあると気づくかもしれないし、
あるご家庭の雰囲気や感じられる家庭の力学が、もしかすると自分がいる場にもあると気づくかもしれないと思うからです。

またこの記事は、働くか働かないかを迷っている方や、そのように選べる方向けの内容となっています。

どうしても働かないといけなかったり、その他の事情がある方には不向きな内容ですので、あらかじめご了承ください。

 

さて、料理を作るというのは一仕事で、
おおまかなメニューの計画と買い物から始まり、
実際に調理して片づけ、食事が終わったら後片付けをし…と、果てしなく続く作業です。

心身の状態が万全でも料理は一仕事あるのに、
例えば、体調がすぐれなかったり、
赤ちゃんの世話や介護で心身ともに疲れ果てていたり、
仕事から帰って、子どものご飯を作る時間がすぐにやってくるようなときは、
料理は重荷でしかありません。

そんなときは「外食しよう」、「惣菜を買ってこよう」、「料理を代行してくれる人に来てもらいたい」と考え、
息つく暇もない毎日に一度息抜きをすることで、次への意欲と体力を取り戻したいと思うでしょう。

A. 一時的な助けを求める場

番組でも、仕事をしながら離れて住む親の介護をしていて、料理まで手が回らないという方や、
子どもを保育園に迎えに行って、遅いときには帰宅が9時になるという学童保育の園長先生がいらっしゃいました。

そうした方は、
「(料理を専門に助ける人が来てくれる)予約が取れると、これでこの週は大丈夫だと思って眠れる」とか、
「一年ぶりの依頼」とおっしゃっていました。

体力的にどこか切羽詰まっている雰囲気を感じる方もおられました。

料理を専門に助ける人が作った料理を囲んで、依頼したご家族が食事をするときには、
食卓の楽しそうな会話や、お子さんに笑顔があって、
このためにサービスを利用しようと思ったんだなと思えました。

蜂はそうした場面を見ていて、
できないときにはできないと言うことは大切だなと内省していました。

できないときにできないと言えることは、ひとつの能力だからです。

自分を俯瞰して見ている自分がどこかにいるからできることで、
さらに自分の状態を伝えることができるという大切な能力です。

家を守ることが自分の務めだと思って、すべて一人で抱え込み、
助けてほしいのに助けを求められず、不満がにじみ出るのなら、
まずは自分を俯瞰して、今の状態を説明して家族の理解を求め、
次に行動力を発揮して、惣菜を買ったり、外食を提案したり、誰かに頼んだりするのが大切だと思います。

疲れている体に鞭打って必ず料理を作るよりも、疲れている自分をまず大切にいたわることは大切だよ、というメッセージは、
番組やプロフェッショナルとして登場したタサン志麻さんが伝えようとしていたことのように思います。

B. 継続的に利用している場

一方で蜂のフィルターを通して見たとき、蜂の心を危機感で強く揺さぶったのが、
料理を専門に助ける人が2年ほど定期的通っている場でした。

お子さんの誕生日だけど、どうしても外せない用事があり、料理を専門に助けるサービスを依頼したとのことでした。

料理を専門に助ける人は、パンケーキミックスでイチゴのケーキを作ります。

しかし、映像の編集の問題などもあるかとは思いますが、食卓で主役の女の子に笑顔がないように見えました。

もう一人の男の子は帰宅すると、
おそらくいつも家で見ているのであろう志麻さん(料理を専門に助ける人)を見つけられず、
「志麻さん(料理を専門に助ける人)に、会いたかったー!!!」と大粒の涙を流しながら、地団駄を踏んで泣いています。

番組で聞けば、食事をめぐって夫婦で喧嘩があるとのことで、
料理を専門に助ける人が通うようになって、すれ違いもあった家族の食卓に、少しずつ変化が生まれてきた経緯があるとのことでした。

1. 料理を専門にサービスを提供する人が家族のつなぎの役も担い始めると、家庭のバランスを崩す

こうした様子を見てまず気づくのは、「料理を専門に助ける人」が「家族のつなぎ」という役割も担っていることです。

「家族をつなぐ」という役割が「料理を専門に助ける人」の役割に加わるのは、行き過ぎだと蜂は直感的に感じました。

家庭に入って家族に寄り添うような仕事には注意点があると蜂は思っています。

サービスを利用する方も提供する方も、
家族の情緒的な絆とサービスとして入っている仕事との境界線をよく理解し、意識しておかないと、
家庭の中の力学の変化を起こし、家庭のバランスが崩れると蜂は考えているのです。

2. 家族からのフィードバックはポジティブなもの?

次に、そして一番胸が痛んだことは、
やはりこれも映像編集の問題もあるかとは思いますが、
サービスを利用していても、お子さんの笑顔が見られなかったということです。

ケーキを前にした女の子の表情や、
「志麻さん(料理を専門に助ける人)に、会いたかったー!!!」と大粒の涙を流しながら、地団駄を踏んで泣く男の子の様子は、
ネガティブなフィードバックで、
蜂の心の中に危機感のアラームを鳴り響かせました。

前に書いたように、「料理を専門に助ける人」が「家族のつなぎ」を担ってくれると、
大人はサービスを利用することで、以前よりも家庭がうまくいっていると思うかもしれません。

確かに家族がバラバラに食事をするよりは、一緒に食卓を囲めるという点でポジティブな変化だと思います。

ただそれは通過点かもしれません。

これが長い期間続くと、どうなるのでしょうか。

家庭の雰囲気や力学の変化を一番敏感に感じ取るのは、子どもです。

子どもから発せられるシグナルはとても大切で、これが一番大切なフィードバックだと蜂は考えているのです。

こうした見方があるのは蜂自身が、家庭に入る仕事をさせていただいた経験からきています。

子どもは近くにいて世話をしてくれ、話を聴いてくれる人に心を寄せます。

これまでは社会や経済の構造から、母親がその役を担ってきたのですが、
家事を気軽にアウトソーシングできる時代になったり、昔を例にとっても経済的に困っていない家庭では、
心を寄せたくなるような温かさを感じるのは、
お母さんよりも外からきたあの人だという矛盾した感覚が、子どもの中に芽生えます。

お母さんはいるけれど、子どもにはお母さんの心が遠いのです。

こうした感覚が長期化すると、子どもに大きな影響を与えてしまいます。

(こうした経緯と影響は、映画や連続テレビ小説でも取り上げられるほど、身近にあり、よく起こっているのです。
このテーマについては、また違う機会に掘り下げたいと思います。)

3. 「志麻さん(料理を専門に助ける人)に、会いたかったー!!!」という叫びは何を伝えようとしているのか

一方で親にとっては、子どもの中に芽生えた矛盾した気持ちを感じ取ると、
親としての自信が少しずつ溶けて失われていくように蜂は感じています。

”なんとなく何か子どもにしなければいけないような気がするけれど、
自分は仕事で息つく間もないほど忙しく、時間が取れない。
自分の代わりを家事代行の人がしてくれているから……。”

そんなふうに親の立場にいる人は思うのかもしれません。

でもこれは、はっきり言ってごまかしだと思います。

本当は手を止めなきゃいけないときに、家事代行サービスで自分の代わりにしてもらおうとすれば、
これはいろいろなレベルでの境界線があいまいになっていて、親子関係に悪循環を生み、行き詰るだけです。

「志麻さん(料理を専門に助ける人)に、会いたかったー!!!」と大粒の涙を流しながら、
地団駄を踏んで泣いてていた男の子の叫びは、
親の立場にいる人が話していたように、「志麻さん(料理を専門に助ける人)が親戚のように仲が良いから」という理由もあると思いますが、
編集された映像を蜂がぱっと見ただけでは、
「料理をする人がいる温かい雰囲気に触れたかった!!!」と叫んでいるように聞こえ、
見落としてはならないシグナルのように思えてならなかったのです。

番組を見ていて蜂の心の中で生まれたもやっとした気持ちは、ここから来ているのかもしれません。

男の子の叫びを聞いていると、時代は変わったとしても、
太古から培われてきた人間の本能には、
料理をする人がまとう温かい雰囲気を、家族の誰かに求める気持ちがあるのは変わらないのではないかと思ってしまいます。

そして、生活を組み立てるときに見落としてはならないポイントなのではないかと思うのです。

Ⅲ. メディアにクローズアップされる潮流と、実感との矛盾

番組を見ていてもう一つ気になったのが、
他の人の子どもを預かるために、自分の子ども預けざるを得ない状況や、
親子で同じ空間に一緒にいても、親から子への働きかけがあまりない状況でした。

蜂は子どもからのフィードバックを基準に考えるので、
子どもが親の愛情を確認しようとして、親に食べさせてもらいたいと甘えたり(そのために子どもに手がかかり、余計に時間がかかってしまう悪循環が生まれたり)、
親が働く場所に一緒に赤ちゃんは行くものの、仕事の時間が長く誰からも働きかけがないときにはぼーっとしている赤ちゃんの表情が、
誰かからの働きかけがあると生き生きとした表情を見せたりすると、
これらはあまりよい流れには思えず、
悪循環や行き詰まり感を見たような気がしたのです。

家事代行サービスは、家事を完了した状態にするための選択肢にはなるけれど、
持続可能な解決策なのだろうかという疑問が出てきました。

A. 家庭料理のどんな潮流を、メディアは取り上げようとしているのか?

今、共働き世帯が増えている社会構造の中で、
メディアは今、何を取り上げようとしているのだろうと気になります。

そういえばNHK「あさイチ」からスーパー主婦というコンセプトがヒットしたり、
つくりおきという料理のスタイルが流行ったり、カット野菜が売れているということも聞きます。

こうした流れは、方法を生活に取り入れ、自らが変化することを後押しする動きです。

一方で金スマでは、タスカジの伝説の家政婦たーちゃんさんが出演して、
東尾理子さんのお宅で短時間で多品種の料理を作る様子を紹介していました。

あの放送では伝説の家政婦たーちゃんさんの腕前が番組の見せ所となっていましたが、
きっとあの番組を見て、料理を代わりに家で作ってもらいたいと思う方は増えたでしょう。

自分ならどうするのだろうかと考えたとき、
進化している家庭料理に対する考え方を自分の中に取り入れることと、外部に委託することには大きな違いがあるので、
蜂は外部に委託する場合の依頼の仕方には慎重になるだろうと思います。

しかしメディアが家事の委託を取り上げ始めている流れも感じていて、
親子が近くにいるのに心が近くにいない現状を見てきた蜂にとっては、
好ましくない現象が、より多くの子どもと家族に起こるのではないかと危機感を抱いています。

B. 仮に、定期的に家庭料理の代行を依頼する立場になってみる

試しに蜂が、家庭料理の代行を依頼するとする立場に立ってみるとどうなるでしょうか。

蜂が関わっている仕事にも種類があり、家事や家庭の実践に関することと、
プログラミングや社会的、抽象的な思考に関することに大まかに分けられます。

家事や家庭の実践に関する仕事をした後、家事をするのは比較的楽です。

一方で、プログラミングや社会的、抽象的な思考に関する仕事をしているときには、
家事にギアが入るまでにはとても時間がかかり、家事は手抜きになりがちです。

いかに楽な料理の展開をするかを前もって計画し、
材料をそろえた後、仕事に没頭するよう計画しますが、
それでも日々の脳の切り替えのエネルギーはかなり必要で、
脳の中で切り替えの轟音が響くのが聞こえる気がするほど苦労します。

完全にギアが切り替わるまでには、時間も2時間はかかります。

そのような状態で家事をするのは、正直とてもきついです。

やはり、ご飯を作っていてくれる人がいたらどれほど楽だろうと思います。

ここでパートナーがしてくれたら最高なのですが、そうもいかないから家事代行サービスが生まれたんですよね。

この記事(私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか -プロフェッショナルな家政婦、タサン志麻さんとの出会いから考えてみた-)を読んでいると、

記事の小見出しの「専業主婦を経て、平日は料理をしない暮らし」は、
毎日慌ただしく仕事をして家事をする人が見ると、憧れる文句です。

納得しやすく耳に心地よい言葉で、仕事と家庭が物事がスムーズに回るいい方法のように見えます。

記事では、家庭料理を代わりに作ってくれる人を

「対価を払っているからといって主従関係ではなく、自分ではできないことを、仲間になってやってくれている大切なパートナー。保育園の先生や実家の親と同じ、家事育児を回していくチームの一員だと思います」

私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか
Huffington Post (2018年5月23日アクセス).

と表現されています。

社会的、抽象的な思考に関する仕事モードの蜂なら、すとんと納得できます。

仕事と料理をきっちりと分けられるので、とても合理的な考えで、楽になれそうです。

しかし仕事のきりはどのタイミングでつき、いつなら“自分ができない”料理へ切り替えができるのだろうか、とも考えます。

一度料理の代行を依頼するとその楽さとおいしさに魅せられ、もう一度料理の代行を依頼しようとなり、
やがて定期的に依頼するようになり、
いずれ家庭の料理は、代わりに作ってもらう比重が増えるということになるだろうと想像します。

そして記事内の

「○○さんがいなければ、私の今の仕事やキャリアはない」私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか
Huffington Post (2018年5月23日アクセス).

という状態になると思います。

C. 家庭料理の代行を依頼するとしたら、自分なりの基準は何か?

こうして想像してみたとき、
蜂は自分なりの基準をもって家庭料理の代行を依頼しないと、そちらに流れてしまう自分がいそうなことに気づきます。

そして家庭料理の代行を定期的に依頼することは、
自分にとっては何かが違うと思う自分の声がどんどん小さくなっていくのを感じます。

もし家庭料理の代行を依頼するとした場合、蜂なりの基準とは何か?

家庭料理の代行は、現状が行き詰まったときに、打開するための方法を見つけるためにだけ依頼するようにするだろうと思います。

その理由は2つあって、
1つは、仕事は延々と続くものであり、
料理をするモードに自分を切り替える方法を身につけなければ、いつまでたっても何も変わらないと思うからです。

もう1つは、前に書いたような家族からのフィードバックに影響が出るだろうと経験的に思うからです。

D. 仕事モードと料理モードを切り替える

どのくらいの期間で仕事モードと家庭モードの切り替えをするかは、人それぞれだと思いますが、
蜂は子どもがいる環境ほど、お茶を一杯ゆっくり飲むなどして、できれば日々行うのがいいのではないかと思っています。

海外では、仕事と同じくらい家庭を大事にすると言いますが、
残業はせずに、家庭でご飯をみんなで食べることを大切にするというのは、
仕事モードと家庭モードを切り替えるタイミングを日々設けるということを意味しているのではないかと思います。

E. 家事は、家の仕事を完了させるだけの意味ではない

番組で見た男の子の叫びは、
「家事=家の中の仕事を終わらせるだけの意味ではない」と思っている蜂の埋もれていた信念を呼び起こし、
現場で学んだ、家を整えることが子どもにどんな影響を与えるかを思い出させてくれました。

家事とは、「家の中の仕事を片づけることに加えて、家族の様子を把握しながら、一つの場として運営すること」だと蜂は思っています。

これは番組でも、料理を専門に助ける人が家族をつなぐ役割も担っていたことを思い出せば、
家庭の料理は、作業としての料理だけの意味ではないことが明らかだと思います。

特に料理は、家族の食べる量や食べ方によって体調を見るバロメーターでもあり、
家族を休ませ、外へ送り出すための、体への栄養と心への満たされ感を補給するものだと思っています。

蜂の頭の中で、轟音を立てて仕事モードから料理モードへと切り替わるつらい時、この信念を思い出しながら立ち上がっています。
(もちろんできないときもあります。)

こうした思いから、一度家事をした経験があるから、家事代行に頼ってもまた家事はできるかと自分に問えば、

一年半専業主婦として家事をし家族を見守ったから、またいつでもできる私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか
Huffington Post (2018年5月23日アクセス).

作業としての家事はできるかもしれないけれど、
家族をつなぐ役割としての家事の意味では、積み残してきた何かがあるように思って、どうしてもそうは考えられず、
定期的に料理を作ってもらうサービスを利用するようにはなれないと思うのです。

F. 自分の実感は何か

経験を通して得た、自分の実感とは何なのでしょうか。

それは、「私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか」Huffington Post Facbookのコメントのひとつにもあるように、

良い親子関係を構築するために、お母さんの美味しい手料理は絶対必要だと思うのですが。。 「私たちは、なぜ家事をしないことに「後ろめたさ」を感じるのか」
Huffington Post Facbook (2018年5月23日アクセス).

料理は栄養補給だけでなく、愛情の受け渡しでもあり、
感じ取った愛情を基盤に信頼関係ができていく側面があると感じているということだと思います。

裏を返せば、替わりに料理を作ってもらっていたら、その人との信頼関係ができると経験的に言える気がしています。

みんなが忙しい現代の世の中で、これを言うことははばかられるように感じてきました。

あえてこのように記事に書く必要もなく、黙って実践していればよいと普段なら思うのですが、
あの男の子の叫びが蜂を突き動かしました。

蜂は、誤解を恐れずに言えば、
料理の愛情補給の側面は普遍的な真実として、変わらずに人間の生活に横たわっていると感じています。

どんなに時代が変わって、どんなに仕事と家庭に忙しい家族が増えたとしても。

家族の中に家庭の料理を作る人がいて、温かい雰囲気をまとっていることを願うのは、
本能に根差した願いなのではないかと思うのです。

Ⅳ. 母親が毎日完璧に料理を作ることと、家庭料理を代行することの二者択一を越えて

こうして、番組を見て出てきたもやもやした気持ちを探ることは完了したのですが、
母親が毎日完璧に料理を作ることと、家庭料理を代行することという二者択一の考え方を越えて、
持続可能な家庭料理の在り方の探し方は何なのだろうか、核となる家事の力は何なのだろうかと考え始めています。

これは次回に続きます。

Ⅴ. 文責と著作権

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